代表と代理

僕は今、ある所属組織の代表となることを打診されている。
それは決して得意な分野でなく、やってみたいとすら思えない役割だが、現状の看過できない状況を正し、組織の存続を図るためなら、進んでお引き受けすべきと心の声が聞こえてくる。
つまり、「やめておけ」と「進んでやれ」という二人の自分が真逆の本音を持っていて、両者の折り合いを付けなければ、僕は受諾も拒否もままならない。
そこでまず、僕はその折り合いをつけるべく対峙すべき相手(現任者)と面談し、「あなたに従う自分と従わない自分の二人がいる」、つまりこれまで主従関係の「従」だった自分が、「主」に成り代わるかもしれないと、宣言した。
振り返ってみれば、暗に主従逆転の許可を求めた僕に対し、「主」は否定しなかったが、あらかじめ否定しないと踏んでいた僕は、あえて「やらずに後悔する」より、「やったことを後悔する」ことを選んだわけだ。

こうして僕は、「受諾」を決めたのではなく「受諾と拒否」をフラットに比較する準備を整えて、あくまで自分自身が自主的に決めることにこだわった。
ちなみに、僕が「地主」にこだわるのは、「地」ではなく「主」という言葉に強い思い入れがあるからだ。
「地主」が土地所有者を意味することから、「主」には「所有」という概念が含まれると思われるが、「所有」が「ownership」の訳語としての当て字である以上、むしろ「所有(ownership)」は「主」で説明されるべきだろう。
だが、「主」には様々な意味があり、そのうちのどれが所有の意味に該当するのかを、考える必要が有る。
先ほど述べた「主従関係」は、まさにその一つで、「主客関係」と比較することでその意味は明確化する。
主従の従は組織内の部下や家来を指しており、主従関係は組織内の上下関係を意味するが、主客の客は組織外からの来訪者を指していて、主客関係は自分たちとそれ以外の対等な関係を意味している。
つまり、これまで「従」として対峙してきた「主」に対し、今後は「客」として対峙することを告げたとも言える。

さて、ここからが今日の本題で、「主従の主」とは何かを考えたい。
「主従と主客」における「主」とは「自分」を指し、自分と他者の関係から、自分が他者の場合も想定できるのだが、「主と従」ではどちらも自分を意味しておらず、「主と従」の違いを理解しなければ、引き受けるか否かを決断できない。
先ほど「従」は「家来や部下」と例示したが、それらに対峙する殿様や上司と比較してどちらかを選べと言われても困惑するだけだ。
そこで、もっと様々な例を連想してみたい。
例えば、会長と副会長などの「正副」や、代表取締役と取締役のような「代表と一般」なども、決して「主客関係」でなく「主従関係」に属する組織内の関係だが、先ほどの家来や部下などの上下関係とは異なる関係だ。
副が正の「代理」とか、一般に対する「代表」などに用いられる「代わり」という関係は、「代理」が下で「代表」が上という訳ではない。
どうやらこのあたりに、折り合いのヒントがありそうだ。

ちょっと寄り道をして、「主」の読み方の話をしよう。
「主」の読みには「しゅ(音)」と「ぬし(訓)」があり、「地主」にも「じ‐しゅ」と「じ‐ぬし」の2つがあった。
「地主(じしゅ)」の意味・初出の用例としては・・・土地の所有者。その土地を領有している人。領主。じぬし。
[初出の実例]「若絶レ戸還レ公。〈謂。依二下条一。聴レ売二園地一。即地主存日売訖者。不レ可二更還一〉」(出典:令義解(833)田)・・・以下略。
「地主(じぬし)の意味・初出の用例としては・・・土地の所有者。土地の持ちぬし。また、土地を領有する人。荘園などの領主。じしゅ。
[初出の実例]「ちぬし百しやうにとうしむして」(出典:東寺百合文書‐へ・弘安九年(1286)閏一二月一七日・律師宝意代官僧教語契状)・・・以下略。
と、じしゅの方が古いのは、音読みのせいかもしれないが、辞書において両者の意味の違いは不明瞭だ。
だが僕には、「主(しゅ)」は自分自身を主体的に捉えているのに対し、「主(ぬし)」は支配の対象を強く意識した言葉に思える。

かつてのブログで、僕は「所有する側とされる側」のことを、「所有と所属」と表現し、これを「所有関係」と勝手に定義したが、今日は「代理と代表」が何をする側とされる側なのを考えればよいことに、辿り着いた気がしてきた。
ううむ、それは組織かな。
組織とは、誰かを代表に選びつつ、必要に応じてその代理をする人々と言えるかも。
つまり、代表以外の全ての構成員が、代理を務めることこそが組織の条件なのかもしれない。
であるならば、代表と代理に上下関係は存在しないし、代表は誰もが回り持ちの交代制で済むことだ。
すべてのメンバーに最適の代理をお願いする代表になれば良いと、折り合いがついて僕はスッキリだ。