
近頃「特殊詐欺」に関する報道が、国境を越え、世代を超え、ますます広がりを見せている。
先日ついに、身近な方が数百万円をだまし取られてしまい、いよいよ他人事ではなくなってきた。
ふと気づいたのだが、「特殊詐欺」とは何が特殊なのか、そもそも特殊でない詐欺とはいったい何だろう。
早速ググってみると、やはり正式な定義はなく、wikiには「特殊詐欺(とくしゅさぎ、英語: Phone fraud、ドイツ語: Enkeltrick )とは、詐欺の一種で、被害者に電話をかけるなどして対面することなく信頼させ、指定した預貯金口座への振込その他の方法により、不特定多数の者から金銭等を騙し取る犯罪である。」ともっともらしく記述されている。
確かに現代の詐欺は、巧妙かつ斬新な手口が開発され、時代の最先端に躍り出たかに思えるが、それは決してそうではなく、もともと社会の隅々にまでいきわたっている。
かく言う僕はもはや一文無しなので、詐欺のターゲットにすらしてもらえないが、かつては倒産騒動の真ん中で様々な「詐欺の現場」に遭遇し、その顛末を目の当たりにしてきた。
そこで今日はいくつかの経験を紹介し、世界が詐欺に満ち溢れている実態をお話ししたい。
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僕が最初に気付いた身近な詐欺は、銀行が経営者を騙す「優良企業」という褒め言葉だった。1989年に土地バブルが崩壊し、急激に地価が下落したことにより、土地の担保価値がなくなって、巨額の融資が無担保状態になってしまった。
お金を貸して金利を稼ぐ銀行にとって、金利を含む返済さえ確保できれば担保など無くても心配ない。
だが、どんなに割高でも、更なる値上がりを見込んで土地を購入した人々に貸したお金は返済どころか売却による元本回収すらできない「不良債権」となり、損切(そんぎり)と呼ばれるたたき売りが始まった。
これは土地への融資にとどまらず、運転資金への融資も同様で、借金を返すために借金をする会社は返済の見込みのない不良会社とみなされるようになっていった。
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こうした不良会社への融資自体が「不良債権」と呼ばれるようになり、銀行は「貸しはがし」と呼ばれる融資打ち切りを急ぐ一方、逆に融資先を「優良企業」とおだてることで、社会や監督官庁の目を欺いた。
結果、僕の会社は騙され続け、赤字は借金で補填し続け、1999年の銀行破たんに連鎖して、あっという間に倒産した。
僕はこのだましを与信詐欺と名付けたい。
与信(よしん)とは、取引先に信用を与えることで、借金をきちんと返したり、クレジットカードの引き落とし時に預金残高を整える行為を言うはずなのに、銀行員は「借金できることこそが信頼されている証拠」といって融資を勧めてくる。
あたかも「銀行の融資こそが与信行為」と言わんばかりの論法は、「借金できるから優良企業」はもちろんのこと、「国債を発行できるから日本は信用できる」とも同じインチキだ。
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もう一つのすごい詐欺は、某組さんの論法だ。
倒産当時、僕の会社は青山と札幌に自社ビルを持っていて、その賃料収入は年額約4億円ほどだった。
そこに某組から二人組がやってきて、「あんたは下請けさんをいくらくらい踏み倒すの?」と尋ねるので、「約10億くらいです」と答えたら、「その人たちを助けたいならあんたを脅してあげるから、私たちにそのビルをよこしなさい」と真顔で言う。
そして、「すぐに訴えられるけど、うちには優秀な弁護士がいて裁判に5年はかかるから、その間稼いだ20億から10億を下請けさんに払ってあげるよ」と続けるので、「いいえ、そんな脅しに乗る訳には行きません」というと、「2本の腕をへし折ってあげるからみんな同情してくれるよ、もちろんいい医者がいて、診断書も素敵なギブスも用意するし、何ならあんたも生活苦しいだろうから、1億くらいこっそりあげるよ」とすらすらしゃべるので驚いた。
なるほど、当時都心では、やくざが抑えるビルがたくさんあったが、なぜか目立った事件も無くビルは平和に乗っ取られている。
これは明らかに加害者と被害者がグルなので、「グル詐欺」と命名したい。
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個人が対面で騙す通常詐欺に対し、ネットや電話で不特定多数を遠隔操作で騙す特殊詐欺が出てきたわけだが、世界にはそれよりもっと歴史と根が深い詐欺が様々存在する。
ここで紹介した「与信詐欺」は、権力が社会を騙す構造につながるし、「グル詐欺」は詐欺を演じることで損害保険や社会倫理をも騙してる。
鼠小僧や雲切仁左衛門のような「汚い奴」から金を盗る「正義の騙し」があるならば、「詐欺の善悪」を論じたくなってしまう。
僕に言わせれば、戦争こそが加害者と被害者を演じる両者に仲介者が加わる壮大究極の「グル詐欺」だ。
僕らが詐欺に気付かないのも、戦争に加担してしまうのも、その渦中に身を置いていて、直面する危機対応に夢中だからではないだろうか。
そこに身を置きつつも、同時に自分を客観視する二つの眼を持って、僕は騙されないように、戦わされないようにしたいと強く思う。