
先日僕は「林業」という「まぼろし」を見た。
辞書によれば、まぼろし【幻】とは、、、
1.実際にはないものが、あるように見えること。そういうもの。また、存在の確認が難しいもの。
2.たちまちのうちに、はかなく消えてしまうもの。
とのこと。
林業をまぼろしと感じた理由は、これまでの林業が今や成り立たなくなって消滅しつつある現状を知り、2.の「はかなく消えるもの」を想起したのが発端だが、やがて1.の「そもそもないものがあるようにみえること」なのでは、、と思えてきたからだ。
もしそうだとすると、今消滅しつつあるものがそもそも存在しなかったとすると、それは深刻な一大事だ。
今日はそんな話をしたいので、まぼろしの意味を確認することから書き始めた。
・
それは、沼津で山を相続したという友人のKIさんに誘われて、一緒に現地を訪れた時のこと。
沼津駅で愛鷹山森林組合職員のMHさんと待ち合わせ、現地近くの伐採現場を案内していただいた。
愛鷹山の南山麓に位置するヒノキ林は、そこを流れる巨岩だらけの高橋川など興味深いスポットだが、僕が関心を持ったのは、MHさんが語る「山の所有」とその変遷だ。
徳川家の所領だったこのあたりは、明治時代に現地の地縁組織(町会)に払い下げられ、昭和初期には沼津市を中心とする富岡村、小泉村、長泉村、清水村、大岡村、金岡村、愛鷹村、浮島村、片浜村、原町の11市町村が「愛鷹山組合」という事務組合役場をもって愛鷹村の土地三千町歩(3000ha)余を所有していた。
1939年森林法の改正で、「追補責任」制の森林組合の規定が設けられ、1941年追補責任愛鷹山森林組合を創立するため出資の払込が始まったが、戦時の混乱で進まず法人は成立しなかった。
1949年親団体である愛鷹山組合が小作法の適用を受け、所有していた農地等を解放し、解散することとなったため、同組合が所有していた土地・建物、什器等を愛鷹山森林組合に払い下げることとなり、これを受けて増資を実施し同年7月28日に設立登記が行われた。
つまり、徳川家から引き継いだ山林を主体的に所有し管理する「森林組合」が成立したのは、何と終戦後のわずか76年前だった。
・
さらに、ざっくり林業の歴史も振り返ってみよう。
飛鳥・奈良の古代より、日本人は宮殿や寺院を建築する為に木材を利用し、薪材を燃料として火を起こし、山に生える芝草をたい肥として農業を営むなど、山林を貴重な資源としてきた。
大きな寺社仏閣や周辺都市部では、時として大量の木材を要する為、9世紀ぐらいから木材確保のため植林が始まり、特に遷都を繰り返した近畿地方では、京都の北山や奈良の吉野で、植林をして大量消費に備えた。
江戸時代になると森林はそれぞれの藩の所有となり、「留山(とめやま)」と呼ばれる大量伐採を禁じる保全対策が行われたり、幕府が1666年に発令した「諸国山川掟(しょこくさんせんおきて)」では、「川の左右の山で木立のないところには苗木を植えて土砂の流出がおきないようにすること」という河川流域の造林を推奨した。
また、林業には治山治水の役割も与えられ、土砂流出防止林や水源涵養林、防風林など作り、専門家を置いて意見を聞くなど国を挙げての森林整備が始まった。
・
ところが明治維新の始まりと共に西洋の文化が流れ込み、高層建築物の足場や杭、電柱、鉄道の枕木、貨物の梱包などで木材の需要が急増したため、幕府の締め付けがなくなり大量伐採が横行した全国の森林は、再び荒廃の危機にさらされた。
明治政府は1898年にドイツの持続的な森林整備を参照して「森林法」を制定して森林の伐採を規制し、さらに無立木状態の荒廃地に関しては、1900年から20年続いた「国有林野特別経営事業」で国有林野を払い下げ、その収益で植栽を積極的に行い森林整備に努めた。
また国有林以外の公有林に対しては、1919年から「公有林野官行造林事業」として、政府が市町村と分収林契約を結んで森林を整備した。
その後、第一次世界大戦、日清戦争、日露戦争などの戦争で木材需要がさらに拡大したが、森林整備により需要に応えた林業は活況を呈した。
・
こうして、日本の重要な一次産業として盛況だった林業は、第二次世界大戦後には激変してしまう。
戦後復興と高度成長期の住宅ブームで木材の需要は最盛期を迎えるが、国内の人工林ではまかなえず、安い外国資材の輸入が始まると国産材の価値は一気に下落し始める。
1970年代からは木材需要の落ち込み、林業従事者の高齢化、若年層の林業離れが加速して、90年代には国産材の市場価値は、ほぼ完全に喪失したことはご承知の通りだ。
その後林業従事者の減少を食い止めるために、様々な施策が講じられたが、林業の未来など誰も描くことができないのが現状だろう。
ここで問題なのは、一体「林業」とは、高度成長で絶頂期を迎えてからわずか30年で没落した「林業」とは何なのか。
山林が与えられた資源から、守り育てる資源に変化した9世紀ごろから引き継がれた「かつての林業」を破壊したのが、まさに「現在の林業」だったのではないだろうか。
・
明治維新後の誕生からわずか120年で消滅しつつある林業を、はかないものと惜しむのでなく、無かったものと思う気持ちから、「まぼろし」という言葉が湧いてきた。
未来を見失ってしまった今の林業でなく、それ以前の林業に立ち返ることで、新たな未来が見えるはず。
現代社会の閉塞感は、間違った選択がもたらした失敗の中にいるからではないだろうか。
そんな選択(失敗)は無かったこと(まぼろし)にして、未来はもっと自由に描きたい。
今の僕たちがやりたいと思うことを、明治初頭の日本でやっていたら、どんな今があっただろう・・・と、考えることこそで、僕らの頭と心は解き放たれるような気がする。