
今「LR(日本土地資源協会)」のサイトをリニューアルしているのだが、4年前に掲げた「みんなで地主」というキャッチコピーをどうしようか迷っている。
そもそもテレビCMで見かけた「みんなで大家さん」に触発されて思いついた言葉なので、当初から批判的な意見も頂戴していたが、それも一つの「関心」と捉え、僕はこの言葉を採用した。
この言葉はまた、「地主でない人も地主になろう」という意味に加えて「地主の方たちも孤立せず仲間を作ろう」という呼びかけでもある。
先月つLRの定款を変更し、多数の土地資源活用を自律的に継続する仕組みに移行したのは、まさにこの呼びかけの結実だ。
今後はこの流れをさらに加速して、土地を所有する人もしない人も地主を目指す全ての人に呼び掛けたい、
ん?、やはり文章にしてみると、絡んだ糸が解きほぐされていく気がする。
申し訳ないが、今日は僕の模索に、もう少しお付き合い願いたい。
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「みんなで地主」について、2021/2/7のブログにこう述べている。
みんなで地主とは、新しい土地利用の提案だ。
誰か一人が所有するのでなく、仲間がみんなで地主になる「民主化」だ。
地主の主は、主従の従でなく、主客の客でもない、当事者本人のこと。
主体的にその土地の魅力を高め、幸福を求め、収益も追及する人こそが地主だとおもう。
そして、「その人たちによる土地経営の仕組み」を民主国家と呼んでもいいのではないか。
それは日本から独立したいのでなく、日本が好きだからこそ主体的に小さな日本を作る取り組み(自治)だ。
そんな国づくりが、地域独自で自由に行われ、それが日本中に広がれば、この国は素敵な国になれると思う。
明治の初頭、全国に自活する集落が7万あったことを思い起こせば、合併を繰り返す役所は電子化・合理化をもっと進め、地方自治は「地主の仲間」で担えばいいと僕は思う。
https://nanoni.co.jp/20210207/
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みんなの「みん(民)」と、地主の「主(しゅ)」を合わせて「民主」としたのは、拙著「地主の学校」のやり口だ。
これはもちろん語呂合わせに過ぎないが、言いたいことが山ほど詰め込まれた「僕の本心」だ。
だが、伝える相手にとって大切なのはそんな事のはずがなく、この言葉から何を感じ、思うかに尽きる。
「みんな」と「地主」が代えられないのなら、残るは「で」の是非だ。
「みんなが地主」、「みんなは地主」、「みんなの地主」、など、たった一文字変えるだけで、その意味もガラリと変わってしまう。
まず「みんなの地主」は「みんな」と「地主」が別の存在となってしまうので、ここでは除外しよう。
「がとは」は「⊃(を含む)と⊂(に含まれる)」の関係なので、みんなだけが地主になれる「は」が一見ふさわしいように思えるが、僕は逆だと思う。
地主という一旦失われた概念を、「復活させてみんなが地主になる」のであり、「みんなで地主を復活させる」との比較だと、僕は今気が付いた。
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よしっ「みんなで地主」は、「みんなで地主を復活しよう!」の略ということで納得だ。
そして「みんな」とは、もちろん「全員」でなく「僕たち」のことなので、あとは「地主」をきっちり定義したい。
そもそも、「地主」はもちろんのこと、「土地」や「所有者」についても僕はほとんどの人と意味を共有できていない。
それはざっくり言うと、「地主≠土地所有者」、「土地=地球の表面」、「所有者≠売主」という実情だ。
その他にも、空家≠廃屋、起業≠創業、利益≠剰余金など、言葉の意味の確認事項は枚挙に暇がないけれど、これも一旦棚に上げ、課題解決に挑んでみよう。
地主とは土地の主のことで、それは管理者、支配者、王様など土地の範囲や規模によって様々だ。
また、先ほど「土地は地球の表面」と言ったが、それは範囲を示す意味だけで、その上空と地中すべてに及んでいる。
なので、地上に生きる動植物や美しい景色、地下に有る鉱物資源や熱エネルギーなどの全てが含まれる。
そこでこれらすべてを「土地資源」と名付け、その支配者を地主と定義したい。
つまり、「地主」を「地」と「主」に分けて、僕らみんなが主になる仕組みがLRという訳だ。
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これで「みんなで地主」という言葉をバラバラに分解し、全てを明らかにできたと思う。
あとは、僕の言いたいことの「ほぼすべて」が含まれている上の文章を、再構成すれば良いはずだ。
という訳で、今日は最優先業務の課題解決と、ブログ執筆が同時に進む素敵な日になった。
僕のブログはこうありたい、そして、「さっさとwebサイト直しちゃえ!」と叱られているかのように、春の日差しがまぶしい。