自民党の総裁戦が決着し、いよいよ焦点は岸田氏の政策や組閣人事に移ってきた。
そんな中、テレビで頻繁に報じられるキーワードは「成長と分配」だ。
アベノミクスがもたらした貧富の格差を解消するために打ち出したこの政策は、ある意味で世界からも注目を集めている。
明治維新、戦後の復興と目覚ましい発展を遂げることで世界を驚かせてきた日本の「次なる変化」に期待する見方があってもおかしくはないだろう。
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皮肉にも、日本国内の貧富の格差拡大は、デフレ経済と社会保障で維持されている。
最大多数の最大幸福を追求する民主主義のおかげで、社会は大多数の貧しい人たちに合わせて整備される。
もしも貧困者が少数であれば、多数の富裕者がそれを救済する立場となる。
多数が成功する成長の時代を経た日本では、そんな価値観が定着した。
だが、その逆に貧困者が大多数を占めるなら、貧困層を基準にして富裕層の搾取が問題視されることになる。
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一方、組閣前日を伝えるニュースの次に、大河ドラマの「青天を衝け」では、明治政府で渋沢栄一たちが郵便事業の立ち上げに取り組んでいた。
1869年に、明治政府から出仕を要請された渋沢栄一は、当時の民部省に「改正掛」を設置して、旧来の制度改革に着手した。
共に働いた新潟の豪農出身・前島密は、郵政事業を立案した後、大隈重信から鉄道建設を命じられ、東京・横浜間の鉄道建設に取り組んだ。
また、渋沢は攘夷活動に導いた尾高淳忠(渋沢の妻の兄)の養蚕に関する知識に着目し、富岡製糸場の初代工場長に招聘する。
徳川幕府を倒した新政府の経済発展を担ったのは、徳川を倒した武士たちでなく、徳川時代に地域経済を担ってきた武士以外の人々だったことが描かれる。
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これまでを振り返ると、社会を支配するのは、政治、経済そして軍事的に権力を持つ少数の人たちだ。
それは、少数メリットあるいは希少価値と言えるだろう。
100円ずつ持っている100人が売り買いをして、半分の50人が残りの50人から10円儲けても、そこには110円と90円という20円の格差が生じるだけだ。
だが、50人でなく5人が残りの95人から10円ずつ儲けたら、95×10÷5=190だから、その5人の所持金は290円となって、200円の格差が生まれる。
明らかに、勝者は少ない方が得な上、敗者は多い方がその損が少なくて済む。
敗者の民主主義とは、こういうことを指している。
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これに対し、渋沢栄一のエピソードは、新たな勝者は多数者側から現れることを意味している。
だが、その後行われる競争によって、勝者は必ず少数化してしまい、敗者を救うための再配分が必要となってしまう。
今後のドラマでは、産業の育成とともに社会福祉の充実を両輪とする渋沢の活動が描かれていくのだろう。
だが、この成功ですらやがて少数派となったからこそ、渋沢は偉人として尊敬を集めることになる。
結局、産業革命に端を発する技術革新は、人間の力をはるかに超えた能力をもたらした。
その結果、もたらされた大成功は、人間の力では挽回不能な格差を生む。
結局、近代化によってグローバル化した社会は、「成功者の少数化」という格差拡大のメカニズムから決して抜け出ることはできない。
世界の富を一部の人が独占するのは、当然のことだと僕は思う。
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僕が提唱したいのは、勝者が少数化せず、多数が勝者になる仕組み。
それは、競争を巨大化せず、むしろ縮小することにより、勝者の総数を増やすやり方だ。
国づくりとは、誰もが自分の土地の王(主)となり、ささやかな成功を仲間たちと共有すること。
世界は、せっかく多様な価値観に満ちているのに、一つの基準で優劣を競うのは、少数派の提案だ。
周囲と同じルールで生きる国を力づくで拡大せず、同じルールで生きたい人とだけ共有するようにしたいと思う。
そして、ルールの異なる多くの国が、ひしめき合うような世界を目指したい。
そうすれば、ルールに賛同できない国を捨て、賛同できる国に移ればいい。
さらに、やっぱり元のルールがよければ、戻ればいい。
異なる国を自分の善悪で比較しないことで、みんなが勝者になれる世界を作りたい。