
友人のK君が、日経産業新聞の「仕事人秘話」に連載している。
彼が先月、このことを少し照れ気味にfacebook投稿したのを見て「20回連載はすごい」とからかったものの、新聞読まない僕には縁が無いと思っていた。
でも、他にもそういう人が多いようで、結局K君自身が記事を投稿するようになり、楽しく僕も読ませてもらっている。
彼は国内最大級の独立不動産ファンドともいうべき、ケネディクスを立ち上げた男だが、今まさに2008年のリーマンショックに遭遇し、地獄の3丁目あたりに差し掛かったところを書いている。
すごく面白いので、是非記事を読んでいただきたいし、だから僕は、あまり内容は書かない。
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO75748940U1A910C2XXA000/
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ところで僕がこの話を書きたくなったのは、連載タイトルの「潰れてたまるか」に惹かれたから。
今はまってる朝ドラ「おかえりモネ」に出てきた「しぶとさと明るさ」という言葉を、先日取り上げたばかりだが、「潰れてたまるか」はその上を行く。(https://nanoni.co.jp/20210927/参照)
僕自身、1999年に経営していた建設会社を潰すとき、まさに「潰れてたまるか」と念じ続ける日々を過ごした。
なんとK君は、地獄の3丁目から生還を果たすのだが、僕の場合は「破産」の道を選択した。
会社は潰れてしまったが、会社と仕事を切り離し、仕事をやり続けることで僕なりの「潰れてたまるか」に挑み続けた。
思い起こせば、当時ケネディクスで新天地を切り開き始めたK君が、僕に会いに来てくれた気もするが、今度は僕がK君の話を聞く(読む)番だ。
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連載の中で、多くの潰れていく人たちが描かれているのだが、K君は彼らを軽蔑するのでなくむしろ敬意を述べている。
それは、潰れないために為すべきことが、潰れていく人達からしか学べないからだと、僕には思える。
手を差し伸べて助けてくれる人など、いるはずがない。
だが、そこで絶望せず、むしろそこから考え始めることを、僕も経験した。
「潰れてたまるか」とは、「生き残りを諦めない」を意味している。
たとえ、潰れたように見えたとしても、生き残っている人は潰れていない。
僕の場合、会社の存続でなく仕事の存続を選択したが、K君にとっても大きな選択があったに違いない。
彼は周囲で潰れていった人達と違う何かを選択したに違いない、僕はこの連載からそれを読み解きたいと思っている。
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いずれにせよ、僕たちは、何かを乗り越えて今を生きている。
そして、そろそろ死にたいなどと思うことなく、これからも生き続けたいと思っている。
だが、人間はいつまでも生き続けることはできないので、僕もそのうち死ぬだろう。
生きたいけど死ぬことは、諦めるしかないのだろうか。
ここで僕は、会社は潰れても仕事は続けた自分を思い出した。
僕が、「成功や失敗」より「継続」にこだわるのは、選択なのだと気が付いた。
今の僕は、「潰れてたまるか」から「終わってたまるか」に変化したのだろう。
僕は、自分が生きる社会を面白くするために、しぶとく明るく、挑み続ける仕組み作りを選択する。