いきなりだが、今日はうんこの話をしたい。
先日Tさんの勧めで「うんこと死体の復権」という映画を観てきた。
アマゾンの奥地で狩猟採集民と暮らし、自然とヒトの関係を考え続けた探検家で医師の関野吉晴は、地球でヒトが生き続ける方法を考える計画の中で、3人の専門家と出会いこの映画を作った。
野糞をすることに頑なにこだわり、半世紀に渡る野糞人生を送っている伊沢正名。
うんこから生き物と自然のリンクを考察する生態学者の高槻成紀。
そして、死体喰いの生き物たちを執拗に観察する絵本作家の舘野鴻 。
不潔なものとして忌避される一方で、彼らがこだわる糞と死体には無数の生物が集まり、生き物の排泄物と死体が虫や微生物によって分解されていく命の循環に注目し、改めて人間の営みと自然の関わりを見つめ直していく。
この映画は是非見て欲しいので、説明(ネタバレ)はこれくらいにしておこう。
https://www.unkotoshitai.com
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僕が感動したのは、この映画で紹介される様々な研究は、僕にでもいや誰にでもできること。
特に伊沢氏の研究は、雑木林の特定のエリアで毎日野糞(のぐそ)をしてそれを日々観察する、それだけだ。
もちろん、軽犯罪法1条26号に「街路又は公園その他公衆の集合する場所で、たんつばを吐き、又は大小便をし、若しくはこれをさせた者は拘留または科料に処する。」とあり、さらに他人の敷地に意図的にすれば、威力業務妨害罪や建造物侵入罪に問われる可能性もあるので、野糞は自分の所有地若しくは許可を得た上で行う必要が有る。
そこで伊沢氏は約4000㎡の雑木林を購入し、1974年の1月1日から野糞を開始した。
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伊沢氏の「正しい野糞の仕方」によれば、、、
1.高山や湿原、清流、原生林など、繊細なバランスをとって成立している自然環境だけでなく道路上など他人に迷惑になる場所は避ける。
2.出しっぱなしの汚らしい野糞ではなく、分解も速やかに進むように、径20センチ、深さ5~10センチほどの穴を掘って脱糞し、きちんと埋め戻す。
3.腐りにくいティッシュペーパーは使わず、自然のままの葉っぱを活用する。
4.水で清めるインド式は、排便をより爽快にするだけでなく、自分の手で直接肛門やウンコに触れて始末することで、ウンコの実感をより身近に引き寄せることができる。
5.土に埋めたウンコが分解して土に還るまで、再度同じ場所に野糞をしないように、穴の上に枯れ枝を立てて目印にする。
6.ウンコの分解が済むまでに、夏場ならばおよそ一か月。寒い冬のウンコでも暖かい春~初夏になれば一気に分解が進む。その後土中の無機養分は植物に吸収されるが、分解から吸収までに要する時間は、季節が一巡する一年あれば充分だ。それに対して、目印の枯れ枝が朽ちるまでには2~3年かかる。野糞のし過ぎで富栄養化を防ぐには、一ケ所につき野糞は1年に1回限り。この鉄則を守るためにも、枯れ枝の目印は重要だ。
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こうして伊沢氏は、自ら糞土師(ふんどし)と名乗り、糞土研究会ノグソフィアを立ち上げて「正しい野糞の仕方」を普及するとともに、様々な著作を通して糞土思想を広め、地球の救済に取り組んでいるが、野糞の継続と観察は様々な気づきや発見をもたらしている。
範囲を決めて繰り返すことで、次第にうんこの分解日数は短くなっていることが、観察日誌に明確に表れる。
これは、野糞を繰り返すことでエリア内の土壌が豊かになったのかも知れないと気づき、近隣の別エリア所有者の許可を得て、比較の野糞を開始した。
すると驚いたことに、同じ人間のうんこを分解する日数に明らかな差異を確認でき、少なくとも動物のフンを供給することにより少なくとも土壌の糞分解能力が向上することが確認できた。
また、遊びに来た友人の野糞がいつまでも分解しないどころか、コガネムシの市街だらけになるシーンがあり、それは不健康な食生活の影響を示している。
自らルール(制約)を作って営みを繰り返すことは、自然界ではよくある話だろう。
だが、こうした制約の中で課題を解決する適応力こそが、やがて進化につながる自然界での必須能力なのだと、僕は思い知った気がする。
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という訳で、今日の僕は一体何を言いたいのか。
それは、この伊沢氏こそが僕の目標であり、僕もこういう人になりたいと気づいたこと。
これまでの僕は、せっかく東大を出たのに、せっかくすごいベーシストだったのに、せっかく優秀な建築屋だったのにと、様々な「せっかくとなのに」ばかりを言われるのに対し、うまく反論できずにいた。
本当は、誰もが主体的に生きる世界を作りたくて「地主の学校」という本まで書き上げたのに、照れくさくてモヤモヤしている自分がいた。
でも、日々野糞をし続けることで、自然との一体化を実践し、生と死の循環の中に身を置くことをやって見せるすごい人の存在を知ることで、「いじけてる場合じゃない」と目が覚めた。
まさに「目の前がぱっと開けた面白さ」を、僕はこの映画で味わうことができた。
野糞でなくうんこをトイレに流すなんて、とんでもないかも知れないが、僕は今日これまでの「いじけた気持ち」をトイレに流しておさらばした気分だ。