高齢者の居住形態多様化について研究するKさんは、笑恵館を含む10例ほどの多様な事例を探し出し、取材調査を申し入れたという。
もちろんコロナ禍に配慮して、訪問調査は諦めオンラインやメールなどの通信を駆使することにした。
そんな彼の申し入れを受けいれて、まずはzoomで面談した。
彼は多数の事例を当たることで、自分の仮説を統計的に検証するのでなく、特筆すべき少数の事例を掘り下げることにより、自らの感覚で確証を模索したいという。
ならば、web検索で見つけた事例から通信により情報を収集するのでなく、現地の空気を体感し、関係者に面談すべきとアドバイスした。
そして昨日の午後、大阪から大学院生のK君が笑恵館にやってきた。
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昨日は、世田谷区内で住み開きの先駆者でもある「岡さんのいえTOMO」の皆さんや、起業相談に見えた「RYUSENpjt」のYさん姉妹など、たまたま来客が立て込んでおり、Kさんの対応は笑恵館クラブのメンバー有志にお願いした。
でも、アパート住人のお二人に加え、シフォンケーキ作りに挑むTさんの他、笑恵館に触発されて自宅の一部を開放するご近所のOさんは、なんとKさんをご自宅にまで案内した。
僕が来客対応を終えた時、すでに16時を過ぎていたが、笑恵館住人のOさんのお説教を聞き終えたKさんが、嬉しそうに僕を迎えてくれた。
そして「みなさん親切で、貴重なお話をたくさんいただき感謝しております。なにより楽しかったです!」と感想を聞かせてくれた。
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そこで僕はKさんに、わざわざ現地を訪問し、関係者と面談することの意義を再確認した。
居住形態の多様性とは何か、それは個人の暮らし方の多様性でなく、周囲の人々との関わり方の多様性だ。
他人と関わり何かを共有することで、孤立を防ぐことの多様性こそが、Kさんの挑みたい課題ではないだろうか。
だとすれば、コミュニケーションこそが共有の行為そのものであることが重要だ。
通信=テレコミュニケーションとは、共有を隔てる距離をつなぎ解消するための方法に過ぎない。
本来の目的が何かを共有することならば、そのための手段をコミュニケーションとよぶ。
それでは、コミュニケーションの方法は何かと言えば、それは言葉や身振りなど5感を駆使した会話のはず。
つまり、通信は距離を隔てた際の「疑似コミュニケーション」にすぎず、それではその価値を感じることはできないと僕は確信する。
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これに似た話が「お金の価値」だ。
先般、高知の山奥に移住したHさんのことを紹介したが、お金が使える店やサービスのない山奥では、お金で対価を払えない。
そんな彼女がヨガ教室を始めると、参加費として野菜や魚をいただけるようになったという。
つまり、ヨガを教えるというサービスと食べ物の交換により、お金を介さない経済が動き始めたわけだ。
ところがそんな彼女から、面白い話を聞くことができた。
食べ物をたくさんいただいても、食べきれないし腐ってしまうので、とても困っている。
つくづく、腐らないし、もち運びにも便利な「お金の価値」が身にしみる・・・という訳だ。
つまり、お金の価値は「何でも買えること」でなく、「腐らず、かさばらず、数えやすいこと」だという。
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ある目的を実現させるためにとる方法を手段という。
かつて僕は、この3つを目的(why)、方法(how)、手段(what)と捉え、これらを明確化することを中心に起業マインドサイトというセミナーを展開した。
そもそもこのメルマガは、当時の受講者向けのメルマガから始まった。
当時は「目的(why)/方法(how)=手段(what)」手段とは目的と方法の組み合わせの呼び名だと説明した。
だが、全ての名詞は名前でありwhatに相当する手段と言える。
つまり、「お金とは、何のために何をすることなのか?」を考えることが、何のため(why)、どうやって(how)を考える手掛かりになる訳だ。
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通信とは、互いを理解し合うことでなく、遠く離れた人同士が会話の代わりにやる手段。
お金とは、何でも手に入る最良の価値でなく、あらゆる価値の保管や比較、運搬に便利な代替え手段。
今日の気づきはこの2つ。
変化したり、進歩するのは、あくまで代替手段であり、本当に必要なもの、本当に願うことは、あまり変わっていないのかもしれないと、僕は思った。