インフレとお金

近頃、様々な値上げと、円安がセットで報じられている。

経済学者、アナリストから評論家やお笑い芸人に至るまで、様々なコメントが飛び交う中で、どうやら話題の核心は「インフレ」のようだ。

「インフレ」とは物価が上がることだから、その前に食料や消耗品を買いだめする人がいる。

「インフレ」とはお金の価値が下がることだから、その前に急いで高価なマンションを買う人がいる。

「インフレ」とは金利が上がることだから、その前に借金をする人がいる。

だが、僕らは今の状況を理解できているのだろうか。

お金と社会の関係、つまり「経済」のことを、分かっているのだろうか。

そもそも「経済」は、歴史の浅い新しい仕組みだ。

明治維新までの日本は、およそすべての地域が自給自足で暮らしていたため、経済という概念は必要すらなかった。

だが、明治維新で年貢を廃止し、貨幣経済を導入すると同時に、福沢諭吉はeconomy(エコノミー)に「経済」という言葉をあてがった。

でも当初のお金には信用力が無く、銀行が保有する「金の延べ棒」の相当額しか発行できなかった(金本位制)。

ところが世界の商取引が活発になるにつれ、流通する(使用できる)お金の絶対量が足りなくなり、1971年8月15日のいわゆるニクソン・ショック以降は、金と米ドルの兌換が停止され、世界経済は変動相場制による管理通貨制度に移行した。

つまり、お金そのものを信用するようになったのは、わずか50年前のことだった。

さて、インフレの話から、いきなりお金の歴史に話が飛んだのは、今日の主題がインフレでなく、お金そのものの話だからだ。

150年前に導入された金本位制による貨幣経済は、たった100年で機能しなくなった。

いや、実を言うと1914年にはじまった第一次世界大戦により、各国政府とも金本位制を中断し、管理通貨制度に移行したことがある。

つまり、当初の金本位制は、50年もせぬうちにほころびを見せ始め、100年後にはついに捨てられたという訳だ。

僕はこの経緯から「社会の仕組みは、50年続けるのが精いっぱい」ということを、絶対に見逃したくない。

260年も続いた徳川時代が、いかに巧みな社会だったかを、しっかりと認識すべきだろう。

20万年かけてサルから人間に進化してきた僕らにとって、このように、時間軸を長い尺度で見渡すことは大切なことだ。

「バブル崩壊以降30年続いたデフレの時代」を長いと感じたり、「変動相場制に移行してからバブル崩壊までの20年」を短いと感じることに意味はない。

変動相場制によってお金をいくらでも印刷できるようになったので地価はどんどん上がり、その20年後には上がりすぎた地価が暴落し、その後も増え続けるお金が使われずに30年間デフレ状態が続いている・・・というように、全てはつながった歴史として見るべきだと思う。

南海トラフ地震に備えるのは、その発生が予測されるからでなく、「これまでの歴史から見てそろそろ起きないはずはない」ということだ。

だとしたら、日本経済の未来を予測するのでなく、「次はこうならざるを得ない」という必然に備えるべきではないだろうか。

すでに「お金=円」は、発行しすぎて有り余っているはず、使わずに貯め込まれている状態だ。

銀行に預けるより、株や不動産に投資した方がましだから、株価も地価も上がり続けている。

株価や地価は、誰も売らなければ上がり続けるに決まっているし、誰かが売れば下がり始め、みんなが売れば暴落する。

これは円相場も同じこと、だから円高と株高を自慢していたアベノミクスは、僕の眼には張りぼてにしか見えなかった。

そしていよいよ始まる「インフレ」は、お金=円の価値が下がること。

決して日本の価値が下がるのでなく、印刷しすぎた「円」という日本政府発行の「サービス券」の値打ちが無くなるだけのこと。

「サービス券」の価値が1/10になると、それまで100円だったリンゴが1000円に値上がりする。

だがこれは、リンゴの価値が10倍になったのでなく、サービス券の価値がなくなっただけのこと。

100円のみかんを持っていれば、従前どおり交換できる。

なので、売るものを持っている人は、なにも困ることはない。

何も売ることができず、サービス券しか持っていない人にとって、「インフレ」は死活問題だ。

サービス券をたくさん持っている人を「お金持ち」という。

これはまだ、50年前から始まったばかりで、それ以前のお金持ちは、お金以外の価値を実際に所有していた。

だから、「お金持ち」という言葉は、最近できた言葉なのだ。

そもそも50年前までは、金や銀が無ければお金を印刷できなかった。

お金は、いつまでも腐らない、軽くて便利な引換券。

だけど、僕らは自分の頭と体と心を使って産みだす「価値=売るもの」しか信用しない方が良い。

でもそれは誰にでもできること。

だから世界は