先般のブログ「ただのおじさん」で、「自分でやればほとんどのことが無資格でできること」をお伝えしたのは、もちろんそれを広めるため。
「おカネは他人に頼むため」とともに、「資格は他人の代わりにやるため」が、自力主義の僕の口ぐせだ。
「自分でやらずに済む」ことは、時として有難いことかもしれないが、それは「出来ない」を「やらない」にすり替える落とし穴になりかねない。
「出来ない」から「やれない」に対し、「出来る」けど「やらない」のはずなのに、「出来ない」けど「やらない」を生み出すのが、おカネや資格だと僕は思う。
資格者におカネを払ってやってもらうことこそが、素人の自分がやるよりも正しいと思いこみ、自らの挑戦をやめるなどとんでもない。
何でも自分でやってみて、その時に感じることこそが一番大切なことだと僕は思う。
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そんな自分で挑戦する人を応援したり手伝うことを、僕は自分の天職と思って取り組んでいる。
でも、他人として手伝うなら、無資格で無報酬のおせっかいなお人よしに過ぎず、僕の忌み嫌う無責任そのものだ。
この問題を解決するには、僕が他人でなくなればいい、つまり、手伝う相手と僕がどちらも自分として、自分たちになることだ。
そして自分たちでやることによって、自分でやることを促進できると考えている。
それでは一体「自分たち」とは何だろう、または「自分たちでない集団」とは何だろう。
僕は組織やコミュニティを作る時、必ずこの話からスタートする。
社会における自分を「主」と捉え、主従や主客でない「主同士」の仲間を「自分たち」と捉えている。
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だが今日は、この話を掘り下げたいのでなく、「自分たち」に持ち上がった新たな課題についてお話したい。
僕の所属するLR(日本土地資源協会)は、個人所有の土地資源を自分が所属する法人に寄付することで、相続制度と決別して永続的な土地経営に挑む取り組みだ。
もちろん生前寄付でも良いのだが、笑恵館など実際には所有権賃貸することで寄付した状況を作り出し、永続活用のシミュレーションをした上で遺贈寄附する方式を基本としている。
そのため、上記の内容を盛り込んだ遺言書を作成し、所有者自身の意思表示を明確にすることを促進している。だが、突然の事故や認知症発症などにより本人の意思確認が困難になる事例が発生し、遺言書作成の早期化も推進せざるを得ないと気が付いた。
つまり、年齢に関係なく、誰もがいつ何時自分の意志表示ができなくなるかもしれないので、もしも誰かに言い残したいことがあるのなら、すぐに書き残しておく必要が有る訳だ。
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さらに言えば、遺言書に盛り込まれる内容は、何を残すのか、だれに残すのか、そして遺言執行者の指定などだ。
そこで急浮上してきたのが「遺言執行人を誰にするか」という問題だ。
いくら自分の意志を言い残しても、それを実行してくれる人を決めておかなければ、遺言通り執行される保証はない。
ところが、早期に遺言書を作成すると、その執行前に執行人が死亡する可能性がある。
そこで、執行人を個人でなく法人に指定してこの問題を回避したいとメルマガに書いたら、それを見た友人から「司法書士の兄が若くして亡くなったために執行人業務の引き継ぎに苦労した」と意見が寄せられた。
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ここからが今日の本題で、LRが相続執行人を引き受けられるのか、そもそも引き受けるべきなのかという問題だ。
民法第1009条【遺言執行者の欠格事由】には「未成年者及び破産者は、遺言執行者となることができない。」とあり、それ以外なら誰でもなれる。
つまり、僕のような「ただのおじさん」でも全く問題ないわけだ。
だが問題は、明日死ぬかもしれない個人ではダメで、誰か不死身の人が必要だ。
そこで思いついたのは「法人」ならどうだろう、さらに言えば自分が所属する法人なら、自分の財産だけでなく意思(遺志)も託せるのではないだろうか。
そこで頭に浮かんだのが「自分たち」という言葉だった。
他人でなく、自分たちに託すという選択肢を生み出したい。
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昨日はそんな提案を盛り込んだ定款(案)をLR会員にお届けし、来週のLRオンラインMTGで議論を開始する。
専門家のゲストは招くものの、ど素人の会員たちで判断したい。
僕一人なら、迷わず実行することだが、あえて自分だけでなく自分たちで判断するチャレンジに、今からワクワクが止まらない。
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