金持ちと王様

起業とは、自分が求める社会を作るためのチャレンジであり、会社はその手段に過ぎないはずだ。

僕のオンラインセミナーは、「会社でなく、社会を作る起業の始め方」という着想から始まった。

ところが「社会起業」という言葉は、「社会の課題を解決する会社を作ること」という意味ですでに使われており、違う意味を唱えても埋没してしまう。

そこで、「地域起業」という言葉を選び、「地域を作る起業の始め方」と題するセミナーにした。

7月末からスタートした第1期には、多数の受講者にご参加いただいた。

講師の僕にとっても、学びの多い面白い体験となり、当初考えたカリキュラムは語ることで充実した。

そして受講者の皆さんとは、その後もSNSコミュニティを介して継続するつながりを作ることができた。

僕の目的は、こうした継続性であり、セミナーはコミュニティ形成のきっかけに過ぎない。

ところが問題は第2期で、全く参加者が集まらない。

第1期は最初だったので、口コミを駆使した結果、参加者の大多数は僕を知る人たちだった。

所詮「地域起業」という名称では、「地域密着型の会社を作ること」に埋没し、「会社でなく地域そのものを作り出す」という着想は、伝わらないのかもしれない。

そこで、このセミナーを運営するKさんから、タイトルを「王様の起業」に変更したいと提案があった。

僕はあまり考えず、反射的に賛成した。

だがその後、じわじわと賛成の理由が湧いてくるので、今日はそれを書き留めておこうと思う。

王様は「偉い」とか「強い」と思われがちだが、それらは決して王様の定義ではない。

王様とは、国や地域を支配する主(あるじ)のことであり、対外的にはその代表として対等だ。

アメリカ合衆国の上院は、州の大小に関係なく51州から2名ずつの102名で構成され、国連も人口14億の中国と1万人足らずのツバルが等しく1票を持つ。

また、主とは当事者のことであり、それを捨てたり、そこから逃げることはできない。

国を亡ぼすためには、国民を全員殺さずとも王様一人殺せば十分だ。

すでに、一人の王様が多くの領民を支配し、奴隷を売買した時代は終わり、民主主義の時代を迎えている。

民主主義とは、王様がいない世界ではなく、誰もが王様になる世界のことだと僕は考える。

一方日本では、明治維新以降「社会は官で会社は民」という官民の役割分担によって国づくりがすすめられた。

そのため、民主主義のことを「民を担う会社が主役となる社会」と思い込んでいる節がある。

だが、所詮会社は、従業員を使って顧客からお金を稼ぐ仕組みのこと。

この仕組みを構築する「主従と主客の人間関係」の要となる「主」は、確かに王様に近い存在かも知れない。

だが僕が危惧するのは、ほとんどの大多数が従や客になり果てて、主がいないこと。

誰もがいつでも逃げられる傍観者になり、地域や事業を担い続ける当事者が失われつつある現状だ。

「金持ち」とは、主でなく従や客でも叶う夢のこと。

会社を介して誰もが目指すのは、自分だけが金持ちになることだ。

だが、金持ちとは周囲の人よりたくさん金を持つ人のことなので、すべての人が金持ちになることは無理なこと。

だからこそ僕が目指すのは、すべての人が王になることだ。

国の大小に尊卑は無い。

どんなに小さくても、誰もが独自の地域(国)を持つ自立した人(王)となる世界を目指したい。

さてあなたは、金持ちと王様のどちらかを選ぶとしたらどうする?

この続きは、9/28月から始まる「王様の起業のはじめ方オンラインセミナー」で話したい。