
相続と継承の違いをご存じか。
法律に定める相続のやり方は、継承に失敗した時の最終手段のこと。
そもそも法律とは、最低、最悪の場合を想定して作られる。
人はいつ死ぬかわからないし、常に死に備えるのも難しい。
だから、いつどんな状況で亡くなっても、財産の引継ぎ方を定めておくことは必要なことだと思う。
だが、法律が定めるやり方は素晴らしいわけでも、正しいわけでもない。
関係者の合意があれば、どのような引継ぎ方でも構わないのに、そのことが忘れられていることこそが問題だ。
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そしてさらに問題なのは土地の相続だ。
そもそも土地が、自由に売買できる個人財産となったのは、1873年の地租改正以後のこと。
1905年に相続税法が制定され、土地も相続の対象となってから、まだ100年少々しか経ってない。
それまでの数千年の間、人間は土地を相続せずに継承してきた。
そもそも不動産とは、動かずにいつまでもそこにあり続ける永久の財産のこと。
ところが今や、不動産を永久の財産として活用する人はほとんどいない。
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だが、古いことには価値があり、多くの人たちがその恩恵を被ってきた。
土地や建物は決して安い買い物ではないが、その価格はその不動産から得られる収益とのバランスで成立している。
したがって、その取得費用を借金で賄ったとしても、その返済が終わった後は不動産が生み出す収益が富や豊かさをもたらしてくれるはず。
不動産が社会ストックと呼ばれるのはまさにそのためだ。
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ところが今、日本では空き家という余剰ストックがあふれている。
それなのに、新規の不動産投資はますます盛んで、余剰ストックが増え続けている。
一方で、高額な家賃を負担できずに困っている人がたくさんいる。
災害が発生すれば、未返済ローンを抱えた債務者を救済する仮設住宅が建てられる。
今回の新型ウィルスによるパンデミックは、賃料を負担できない事業破たんが続出する。
不動産ストックの蓄積が活用されずに、社会の存続を脅かしている。
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僕は今、笑恵館(しょうけいかん)という施設の運営に携わっている。
この事業は、所有者Tさんからの相談で始まった。
最期まで楽しく暮らせる家にしたい、そしてそれが実現するのなら、自分が死んでも娘たちに相続せず、地域の施設としてやり続けて欲しい。
どこにも事例が無く、誰に相談すればいいのかわからないので、自分でやることを決意したというTさんの考え方は、起業支援に取り組む僕にとって当然のことだった。
だが僕は、何でもできる土地所有者自身からの相談だった上に、その死後を託されたことに、自分の耳を疑った。
そこで僕は、本気で取り組むことで、Tさんの真意を確かめようと考えた。
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考えたプランはシンプルだ。
施設運営を行なう法人を公益法人にして、Tさんが土地建物を寄付する作戦で事業に着手した。
2012年に一般社団法人を立ち上げて賛同者に呼び掛けて、2013年には笑恵館クラブを設立。
2014年には笑恵館を開業し、2015年に公益申請を提出した。
公益申請の目的は、Tさんの「このままやり続けて欲しい」という願いを叶えるため、土地の寄付にかかる譲渡所得税の免税だ。
ところが、この免税措置はあくまで税務署長の判断によるもので、公益法人となることはその必要条件に過ぎない。
結局公益申請は取り下げて、一般社団法人のままこの事業をやり続ける模索が始まった。
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こうして僕は様々なケースを検討するうちに、相続と継承の関係に気が付いた。
不動産を所有する多くの人が、相続を継承の方法と思い込み、相続以外の方法を考えようともしない。
自分の死後、子どもたちを縛りたくないという思いなのだろうが、願いを伝えることと縛ることは違うこと。
願いを伝えた上で、それにどう応えるかを縛らなければいいはずだ。
そもそも財産を残すかどうかを決めるのは所有者のやることだし、条件付きで財産を残すのは当然のことだろう。
昔の領主が、長男に家督を継がせたのは、一刻も早く財産を継承した上で、隠居として後継者を育てるためだった。
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だから、死後の財産を継いで欲しい人・承けたい人の、どちらからでも構わない。
一刻も早く継承会議を開くことを、僕は提案したい。
相続でない継承とは、財産を事業に変換することだ。
継ぐ側と承ける側が、互いの夢を語り合い共に未来を作る起業を、僕は手伝いたい。