
昨日の夕方、一仕事終えて新木場駅で大好きなC&Cカレーにありついていたら、ガーンと激震が来て電車が止まってしまった。
千葉を震源とする震度5弱の地震は、揺れが短くて良かったが、かなりの一撃だった。
そして2時間後、成田空港にトランプ大統領が降り立った。
これは決して無関係ではないと思ったのは僕だけではないらしい。
帰りの電車でスマホを眺めていると、「トランプ来日を地球が予知」とか、「トランプを地震が歓迎」など大騒ぎとなり、ニュースに疎い僕はこれでトランプ来日を知ることになった。
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ドナルド・トランプがアメリカ合衆国大統領になって、はや2年が経過した。
就任当初は、「本人が最も驚いた当選」などと揶揄(やゆ)され、こんな奴に大統領などできるのかと、多くの人があきれ顔をしていたことを思い出す。
メキシコに壁を作るとか、地球温暖化はデマだとか、中国との貿易戦争とか、しまいには金正恩と仲良くなるとか、およそすべての有識者から批判されるような「暴挙」を繰り返しているのにもかかわらず、彼の暴走は止まらない。
だが、これらは決して暴挙でなく、支持層に対する成果のアピールだともいう。
ロシア疑惑の追及や、弾劾裁判による訴追など、大騒ぎしている民主党にしても、このままトランプを放置すれば支持層の信頼を失いかねない。
やはり、トランプを突き動かしているのは、支持層を動かすことで社会を動かす「政治」というゲームなのか。
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今日は日曜日なので、朝からテレビは「トランプだらけ」だ。
子分の安倍首相とゴルフをし、マックを食い、相撲見物の後、六本木の田舎家で一杯やるらしい。
ちょっと苦々しい気分でテレビを横目で見ているうちに、僕はふと亡くなった父のことを思い出した。
そして、もしも父が生きていたら、このトランプを見てどう言っただろう・・・と頭をよぎった。
父は根っからの土建屋で、当然自民党を支持する経済優先の、心優しい右翼だった。
バブル崩壊後の社会変革を求めて「うっかり青島都知事に投票したこと」を、いつまでも後悔していたのを思い出す。
あの父だったら、間違いなく「トランプ支持」を名乗るだろう。
日本に不利なことを言うことは問題だが、日本にもあんなパワフルな政治家がいればいいのに・・・と思うに違いない。
「な、拓也、お前もがんばれ!」とか言われて、気まずい喧嘩が始まる様子が、目に見える。
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大人になるにつれて父への反発心が膨らんで、亡くなってからもあまり悲しくならなかった自分のことを、僕はあまり好きになれなかった。
だから、こんな風に自然に父を思い出させてくれたトランプに、ちょっと感謝する自分に気が付いた。
なるほど、トランプの魅力とはこういうものか。
つまり、自分にできないことをやってくれる男。
ここで言う「できないこと」とは、心の中では思っていても怖くて口に出せなかったり、恥ずかしくて実行できないことを、堂々とやってくれる男なのかもしれない。
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そう考えると、社会の悪を個人や指導者のせいにする仕組みが、分かってくるような気がする。
自分は手を染めず、願いをかなえてくれる人をこっそり支持するには、無記名投票は最適だ。
そしてもし、指示した悪者が失敗や失脚したときは、「やっぱりあいつは悪い奴だった」といえばいい。
ヒットラーだって、スターリンだって、熱烈な支持が無ければあれだけの人を殺せない。
ブッシュはもちろんのこと、オバマ大統領でさえ、多くの殺人を命じてきた。
テロも犯罪も「悪人」のせいにしているが、本当に僕たちはただの被害者なのだろうか。
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僕たちはいつも、トランプ大統領を批判したり軽蔑するばかり。
なのに一方で、歓迎したり感謝したりする僕たち自身の心の動きこそが、世界を動かしている。
テレビに映るトランプを見て、僕はそう感じる。