急ぎのエール

今朝未明、義甥のSE君が突然心停止し、救急搬送された集中治療室で生命維持をしてる、という連絡が舞い込んだ。
僕は母の見守りを引き継ぐために、朝一番で日楽庵(妹宅)に駆け付けて、今妹を怒り出したところだ。
細かい容態は分からないが、彼は何の予兆も無く突然倒れたという。
もちろん、無事な回復を祈りつつ、死の可能性も受け入れなければならない。
でも、終末期を迎えつつある母の隣でこの文を書いていると、やはり生きていることこそを大切にしたい、
年始に母を囲んで「葬式で久しぶりと言い合うのでなく、生きて久しぶりと言い合う会」を開催した僕としては、SE君のそして僕の命があるうちに、エールを送りたいと思い立った。

前回SE君と会ったのは、やはり日楽庵での新年会で、少し太って丸顔になったのをからかったことを思い出した。
さらに先日、母の見舞いに来て下さったSE君の母上から、新潟で相続した「家や田畑と裏山の負動産三点セット」をどうしようと相談を受けたので、「負」だなんてとんでもない、ましてや農地を所有できる農家の権利があるならば、息子のSE君に承継すべきとみっちり説教したばかり。
そこで、近日中にSE君を捕まえて、「せっかくの地球なんだから、母上の土地売却を阻止して、君らが引き継げるよう説得しよう」と話そうと思っていた。
なので、これを伝えずに済ますわけにはいかないというのが、僕の勝手な心残りだ。

そもそもSE君は僕の妹の長女の婿だが、僕と弟にはどちらも二人の息子しかいないので、この娘は我が家の一人娘としてみんなに愛された。
なので、彼らの結婚式に参列した際に、娘の親的な気持ちを味わった僕は、その気持ちを込めて巨大な手作りオブジェをプレゼントした。
それが今日の写真の「愛のビル」、模型作りが好きで建築屋になった僕ならではの、自慢作だ。
紫という色は青と赤が混ざり合ってできる色だが、世間には青っぽい紫と赤っぽい紫が存在し、それらも総称して紫と呼んでいる。
そこで、紫の人間は青紫の男性と赤紫の女性に分けられるけど、所詮は全部紫なので、しっかり抱き合って紫色のビルになろうという訳だ。
二人は見事に応えてくれて、元気過ぎる二人の子供が会う度に僕をいじめてくれる。

それにしても、死は突然にやってきて、仲間を連れ去ってしまう。
その順番に法則は見当たらず、周囲への影響や備えも関係ない。
なので、自分を含め、全ての人の死に対する備えには一刻の猶予も無い。
つまり、僕たちは常にだれかの死に備えることが生きることなのかもしれない。
だとすれば、誰かの死は自分にとって何なのか。
それは、先ほど述べたSE君に対する心残りややり残しをもたらすこと。
もしも、治療の甲斐なくSE君が旅立つのなら、次の一手に取り掛からなければ、心残りが増えるだけ。
ここで頑張らなければならないのは、結局自分自身だと気が付いた。
危篤状態のSE君だからこそ、急いでエールを送りたいと思って書き始めたはずなのに、結局自分自身を奮い立たせることになってしまった。
SE君、あらためて、ありがとう。