3月25日10時ころ、母が息を引き取った。
老いた母を連れまわし、様々なところに出かけ旅行したが、僕自身が楽しむことが最高のサービスだと信じてた。
釣りバカ日誌の浜ちゃんが、みち子さんにプロポーズするときに、「僕はあなたを幸せにする自信はないけど、僕が幸せになる自信はある」と言ったのが忘れられない。
そんな旅行も、一昨年の北海道旅行を最後にできなくなり、いよいよ別れの時がやって来た。
24日には、ついに呂律(ろれつ)が回らなくなり、こちらの問いかけに首を縦に振るか横に振るかで、起きたいのか寝たいのか、熱いのか寒いのかなどを判断した。
夜になると、知らせを聞いた子供や孫たちだけでなく、年老いた弟と妹までもが駆けつけてくれた。
すでに虚ろな眼をしながら少し荒い呼吸をする母だったが、大きな声で呼びかけると、目を見開いたり、声を出したりと反応してくれて、耳と頭はまだ機能していることが実感できた。
だが、そんなやり取りができればなおのこと、区切りを決めて別れなければならないのだが、誰もが別れを告げられず、「また会おうね、また来るからね」と再会の約束をするばかりだった。
その時僕は、ふと気が付いた、ひょっとして僕らは別れの言葉など持ち合わせていないんじゃないかと。
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考えてみると、「さようなら」も別れの言葉とは言い難い。
「左様なら」とは「それなら」や「それじゃ」のように、区切りとその後の続きを意味していて、最後や終わりを意味しない。
つまり、僕たちにとって別れとは、主体的能動的に行う行為でなく、受け入れるべき現象に過ぎないので、続きをうやむやにした区切りの言葉を、便利な合言葉にしている。
ここで言う受け入れるべき現象とは、意図的に死んだり殺されたりするのでなく、人知を超えた自然の成り行きに身をゆだねるイメージだ。
次第に食事の量が減りやせ細っていくけれど、母は太り気味なので、皮下脂肪をエネルギー源にして生き永らえているとも言える。
やがて水も飲まなくなったが、無理に飲ませると誤嚥(ごえん)を起こす危険もあるので、決して無理に飲ませないように心掛け、結局は衰弱していく過程を妨げず、見守ることしかできなかった。
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やがてただ息をするだけになりつつある母を囲んでみんなで記念写真を撮り、その晩は解散し、数人が茶の間でうだうだ話をしながら時々母を点検し、僕が母の隣で寝床に就いたのはもう明け方近かった。
そして翌朝、母の安らかな寝息で目を覚まし、臨終の瞬間までしばしの持久戦を覚悟した僕は、甥に見守りを引き継いで、着替えを補充すべくバイクで自宅に向かったが、その直後甥から電話がかかり「おばあちゃん息が止まりました」と伝えられた。
即座に僕はUターンして、母のもとに駆けつけたが、死の瞬間に立ち会うと言う約束が果たせなかった悔しさで、嗚咽と涙が止まらなかった。
その後、主治医に呼吸停止を連絡し、約1時間後に母の死亡が確定した。
医師は死亡診断書の記載内容について丁寧に説明してくれたが、特に死因を「老衰」と記入したことを少しドヤ顔で語り、この自然死プロジェクトに参加できた喜びと感謝を述べてくれた。
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母を病院に入れず自宅看護にこだわったのも、病院での療養が病気の治療や日常の回復でなく、日常生活継続の諦めや終わりを意味するように思えたからだ。
極端に言えば、日常生活を自力で続けられないなら死んだ方がましで、生きることは自宅で暮らすことという考え方を、母と僕たちが共有できたから。
その延長で、自宅での家族葬にこだわりはじめ、お通夜と言う名のお別れ食事会と火葬のみとして、いわゆる告別式(葬儀)は行わなかった。
だが、それはあくまで方針であって、親しい葬儀社の社長さんと打ち合わせるうちに、僕と妹のやりたがりに火が付いた。
まず、せっかく自宅でやるならば、玄関前を提灯と花輪で飾りたいと頼んだところ、都市部の小規模な家族葬では転倒リスクなどを考慮して花輪は諦め、小型の生花に切り替えた。
また、霊柩車は屋根のついた宮型車を要望したところ、今はほとんど使われないが、手配は可能と喜んだ。
そして翌朝目が覚めて、外に出てみると抜けるような青空が晴れ渡っていた。
あまりにも空がきれいなので、写真にとってFBに投稿し、「見送りの日」と題してこんな記事を投稿した。
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今日は母が煙になって天に昇るのを見送る日です。
空が晴れ渡って幸いです。
昨夜は家族のお別れ会として、お通夜をこっそり執り行いましたが、自宅を派手に飾り付け、大いに盛り上がりました。
そこに駆け付けて下さった方々は、転んだ母を抱き起こしたり、母からの手紙を大切に携えてきたり、みんなが家族だと気づきました。
葬儀社から「都会では、もうこんなお通夜はすっかり無くなりました」と聞いて、むしろご近所付き合いはここから始まるのかもしれないと思いました。
引き続き、昼まで自宅(日楽庵)を開放し、ここから屋根付きの霊柩車で華々しく出発したいと思います。
13時半ころには荼毘に付しますので、思い出したら空を見上げてみて下さい。
この投稿を見て下さる方は、みんな家族だと僕は思ってます。