共有の深さ

ご存知の通り、僕は土地資源の活用に取り組んでいる。
土地資源とは、「土地と付随するあらゆる現状」という意味で、立派なビル、ぼろ家、農地、山林など、様々な空間を何かを実現するために活用する取組だ。
だがこれは、自分の家をいつまでも活用して欲しいというある所有者の夢を叶えるための取組で、土地資源の活用は手段に過ぎず、あくまで目的は個人の夢の実現だった。
「最期までこの家に暮らし、その後もそんな家であり続けて欲しい」という「永続する夢」に出会った時、僕は新鮮な感動を覚えた。
実現したい夢が手の届かない遠くにあると、途中で諦めてしまわないように、実現可能な手の届く小さな夢も合った方が良いと僕も思う。
だがそれは、あくまで途中の通過点であり、夢は簡単に実現できないし、永遠に実現できないかもしれないが、「いつまでも目指し続けること」に価値があるなら、それでもかまわないと思っていた。
でも、「さっさと叶えていつまでも継続する夢」とは、まさに今世界が求めている平和や安心、融和などが当てはまる。
そんな気付きから、土地活用の永続化が僕の夢に浮上した

そこですぐに思いついた方法は、土地所有の法人化だ。
江戸時代まで長く続いた日本社会の持続の仕組みは、明治維新における民主化と資本化によって個化(個人欲優先化)が進み、土地所有者は日本国から土地を固定資産税で賃借する店子になり下がったことは、拙著「地主の学校」に記した。
崩壊した地主制度を社団法人の仕組みを使って開放的に再生する試みが「日本土地資源協会(LR)」だ。
そもそも法人の価値は個人に依存しない持続信頼性であり、法人化による個人(自然人)からの不死身化、組織化による孤立からの脱却、そして集団化による継承者の育成が可能となる。
笑恵館を始めとするLR事業は、その法人所有化を前提に組織と事業を整備する取組だが、永続利用を担うコミュニティづくりこそがその核心だ。
土地利用を主体的に担う集団は、まさに地域社会であり、これは小さな国づくりと言える。

さて、ここからが今日の本題だ
国づくりの核心であるコミュニティづくりは、一体どうやって進めるのか。
「コミュニティ」を「何かを共有する集団」と定義する僕にとって、土地資源を共有するコミュニティこそが真の地域社会だと思う。
日本という国だって、国土が国民の共有財産なら、みんなで土地を大事にするし、売買なんかしない。
都会で家賃を稼いで、自然の保全に使えば、さらに魅力的な国土になって価値が上がるかも。
そんな視点から日本を見ると、日本国(及び自治体)は道路や公共インフラだけを所有して、残りを固定資産税で賃貸している。
外国人が日本の土地を買っているというけれど、実際には賃貸と変わらないので、土地売買に制限はない。
ならば安心かというと、建築や開発を制限せずに空き家や放棄地は増えるばかりで、むしろ利益優先の悪徳地主の様相を呈している。

そこで僕は、これに対して異議を唱えるのでなく、自分が所有する土地で行う小さな国づくりを応援することにした。
その方法は、土地を共有するメンバーを国民と思って募集することだ。
たとえ小さな国づくり(ごっこ)でも、これが出来なければ、ホントの国づくりなどできるはずがない。
笑恵館で「笑恵館クラブ」を作ったように、名栗の森には「名栗の森オーナーシップクラブ」、ふきの庭には「ふきの庭倶楽部」、そして先月一宮庵(いっくあん)で「一宮庵倶楽部」を立ち上げた。
これらのコミュニティが、土地資源を活用する事業を立ち上げて、固定資産税(賃料)相当額を稼げるようにならなければ、日本における土地所有は継続できない。
だが逆に、土地を共有するコミュニティが賃料相当額を捻出さえし続ければ、日本での土地永続所有は成立する。
そのコミュニティが法人化すれば、不死身となって相続と無縁となり、実際の後継者育成だけが課題となる。

こうして見ると、ここで実現すべき夢の姿はコミュニティの確立だ。
それは決して遠い未来の夢でなく、さっさと実現してから持続に挑むべき夢だと思う。
では、コミュニティづくりでやるべきことは何かといえば、それは「情報の共有」に尽きると言っていいだろう。
かつて家を共有し継承してきた「家族」が、個人情報を共有するコミュニティだったことに着目したい。
先ほど述べた「個化(個人欲優先化)」は、家族までをも崩壊し、家族内の相続争いを助長している。
親の老後を施設に任せたり、子どもの世話になりたくないとか、自立の支援が促進されるが、相互依存無しの持続の仕組みはまだ未知数だ。
情報共有の取組とは、どこまで共有可能なのかを探ることを指す。
先日、笑恵館の入居者MTGで、緊急連絡先の情報を入居者全員で共有することを決めたばかりだが、これは他人が家族に近付いた大きな一歩だと思う。
「共有とシェア」の違いを実感できるのが、土地と情報の共通点かも知れない。
これまで「シェアを分割」、「共有をビロング(所属)」とこじつけて理解してきたが、今日は「共有は身内(家族)」、「シェアは他人」と、共有の深さ(強さ)のようなものを感じた。

Be the first to comment

Leave a Reply

Your email address will not be published.


*