反省と覚悟

8月6日原爆の日は朝から30度を超え、東京でさえ前日に続いて37度を超える猛暑日となったが、8:15にはテレビを見ながら黙とうを捧げていた。
続く平和記念式典では、石破総理大臣に続いて登壇した広島県湯崎知事の「核抑止がますます重要だと声高に叫ぶ人たちがいます。しかし本当にそうなのでしょうか。」との問いかけに、耳を奪われた。
「国破れて山河在り」とは、国が滅びても再生できる例えだが、「国守りて山河無し」を招きかねない核戦争は、許容できない過ちだと断じる言葉に、嗚咽した。
会社倒産という明らかな失敗を、自分の原点と自負する僕にとって、それは「会社敗れて仕事有り」だったからであり、「会社守りて仕事無し」を回避した「許される失敗」だったことを教えてくれた。
このスピーチは即座に評判となり、SNSにも多くのコメントが寄せられたが、例によっておかしな投稿が目立つようにもなってきた。

特に気になったのは、某元都知事の「原爆死没者慰霊碑に刻まれた“過ちは繰返しませぬから”という言葉は大間違い」という発言だ。
「過ちは繰返しませぬから」とは明らかに原爆に対する反省の言葉だが、原爆を落とされた側がなぜ反省しなければならないのか。
原爆を落としたのはアメリカなのだから、被爆国として「過ちは繰り返させませぬから」というべきだと。
作家でもあった某元都知事の指摘は、残念ながら言葉尻の揚げ足取りに過ぎないと思う。
もしも、自分がしたことでなく、されたことを繰り返さないのであれば「繰り返されませぬから」と意味不明になる。
反省とは「自分の行った言動を振り返ってその可否を改めて考えること」を、忘れているとしか思えない。
と、頭では分かっているけど、自分はどうなのか・・・いみじくも、この日は僕自身にとっても反省の日となった。

「自分の言動の可否を改めて考える」には、可否の判断基準=正義が必要だ。
そこで僕は、朝ドラの「あんぱん」で、「逆転しない正義」を追求するタカシとノブを思い出した。
国に奉公するという戦争中の正義が、戦後あえなく逆転してしまったノブは、反省しなかった自分を反省しなければならなくなった訳だ。
もちろんこれは、今後のストーリー展開への布石であり、やがてふたりは逆転しない正義に近付きながらアンパンマンを生み出すことになるのだろう。
同じことを自分に当てはめれば、僕は「成功・失敗」でなくそれを乗り越える「継続」に逆転しない正義を感じているのかもしれないし、だからこそ、湯崎知事の言う「国破れて山河在り」に強く共感したのだと思う。

だが、その共感を決定づけたのは、「国守りて山河無し」という逆説であり、「会社敗れて仕事有り」を実践した僕だからこその気づきかもしれない。
だとすると、そもそも「過ちは繰り返しませぬ」は、本当に反省の言葉なのだろうか。
いや、大勢の人が原爆で亡くなったことを反省(是非を改めて考える)するのではなく、「繰り返さない」と誓っている。
つまり、絶対的な正義に反するからでなく、絶対的な悪(過ち)と断じた上で、万人に合意を問いかけているに違いない。
湯崎知事が「抑止とは、あくまで頭の中で構成された概念又は心理、つまりフィクションであり、万有引力の法則のような普遍の物理的真理ではない」と言うのと同様に、「反省」も「概念又は心理」に過ぎない。
今日は、「善ないし悪を具体的に定め、その獲得や排除に向かって這い進むべし」という「覚悟」を持ちたいと、改めて確信した。

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