「笑恵館」のwebサイトを12年ぶりにリニューアルするため、試作サイトと格闘するうちに、今度は「一宮庵(いっくあん)」のサイトリニューアルの相談を受け、急に忙しくなってきた。
だが、この2事業は「ふきの庭」「名栗の森」とともに、LR(日本土地資源協会)を代表する事業なので、新たな全体像を構築する絶好の機会と捉え、4サイトまとめて夢中になっている。
「ふく【複】」には、「1.二重になっている。二つ以上からなる。」と「2.もう一度する。ふたたびする。」の複数の意味があり、「ふく‐すう【複数】」は、「1.数が二つ以上であること。」と「2.インド‐ヨーロッパ語などの文法で、人や事物の数が二つ以上であることを示す語形。」を意味する言葉(⇔単数)。
継続するための仲間づくりに取り組む僕にとって、これは極めて重要なキーワードだと気が付いた。
そもそも「複数」こそが継続的存在状態を指し、「単数」はその構成要素を抽出したに過ぎないのかもしれない。
そこで今日は、僕が日々取り組んでいる複数に関する作業を「集約と展開」と名付け、話を始めよう。
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「複数」とほぼ同義の「マルチ」は英語の接頭語「multi-(マルチ)」に由来するようだが、「multiple」が意味する「倍数」が、「複」と同様に反復を意味するのも興味深い。
「マルチタスク」とは、短時間で切り替えながら複数の作業を行なうことで、もちろん「集約と展開」にも必要な能力だが、僕の目指す「集約と展開」は、複数の作業が複合することで生まれる全体像を指している。
例えば、笑恵館と一宮庵は全く別の事業なので、webサイトの内容も異なるが、そこには明らかに機能上だけでなく、内容的な共通点が存在する。
こうした複数の取組の共通点と相違点を模索する「集約と展開」を経ることで、それらの全体像が次第に見えてくる。
もしもこれら4件の共通点が見いだされ、それが他に類を見ないなら、それこそがこれら4件の独自性、つまり僕の取組の独自性となる訳だ。
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「共通と相違」つまり「同じと違い」について、もう少し考えてみよう。
そもそもこの両者は、相互を必要とする対義語で、同じとは違わないことであり、違いとは同じでないことを指す。
例えば、この4件の事業は全てが土地を所有している点で同じだが、その土地は全てが異なる点で違っている。
全ての人間は違う人格だが、それは同じ人間だからであり、そこには犬や猫は含まれない。
一つの事象には、必ず共通点と相違点があり、共通点が全体で相違点が個を意味しているに過ぎず、先ほどの人間を動物と言い換えれば、そこには犬も猫も含まれる。
したがって、共通点を探すということは、それが「何(what)か」を探していることと同じことだ。
こうして、4つの事業の共通点を見出しにして、その内容に相違点を記載すれば、全てが同じ見出しで説明できるようになり、それら全体を眺めた時に、全体像が見えるだろう。
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こうして見えてきた全体像とは、これらの見出しに個別の内容を記載するのでなく、網羅的もしくは抽象的な説明を記載することになる。
それが、これらの事業を繋ぐLR(日本土地資源協会)のwebサイトになるはずだ。
さらに言えば、このLRは僕の関わる複数事業に含まれる単数であって、それらの共通点を網羅する全体像が「実現倶楽部」という訳だ。
土地資源に関する様々な相談事をLRの素に集約するように、何かの実現やチャレンジに関するすべての相談を「実現倶楽部」に集約しようと考えた。
こうすることによって、自己紹介できない何でも屋から、しっかり自己紹介できる何でも屋に変身したいと目論んでいる。
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こうして僕がたどり着いた他に類を見ない独自性は「地主の起業」かもしれない。
大谷翔平の「二刀流」に関しては、大勢の人たちが熱く語り合いながらほぼ合意に至っているが、松村拓也の「地主の起業」については、世界の片隅で本人1人がつぶやいてるに過ぎない。
でも、僕にとっての「地主の起業」は、大谷翔平にとっての「二刀流」とほぼ同じ価値を持つ。
この言葉の元にすべてを「集約」することで、今度はすべての人を「地主」に導く「展開」を思いついた。
そして、そのために僕は「地主の学校」を執筆し、これを世に問うことにした。
僕の目に映るすべての問題は、「地主の起業」に集約され、みんなを地主にすることで世界に展開することが僕と世界の関係だ。
こんな話に付き合わされた貴方は、いい迷惑だったかもしれないが、その苦情や反論は全てお引き受けしたいと思う。
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