託す未来

僕の名刺の裏側には、「業務内容=必要なのに誰もやらないこと」として、「起業支援」、「創業支援」に加えて、「永続支援…あなたが目指す“死後の未来”を実現する」と書いてある。
先日、名刺をお渡ししながら自己紹介をするうちに、未来の話をするのは分かるが、なぜ「死後の」という言葉が付くのか…という質問が帰ってきた。
もちろん第一の理由は、そんな風に疑問を感じ、興味を持って欲しいから。
でももちろん、それだけのこけおどしでなく、僕の思いや考え方がぎっしり詰まっている。
でももう少し明るい言葉も探したい https://nanoni.co.jp/20231105-2/
今日は、そんな話をしてみたい。

そもそも「永続支援」とは聞きなれない言葉だろう。
世間では「サスティナビリティ」という言葉が持てはやされているが、これは「Sustain(維持する、持続する)」と「Ability(~する能力)」を組み合わせた造語で、日本語では「持続可能性」と表記する。
お判りと思うが、これは成長や衰退とは異なる概念として、現状維持や継続を指していて、成長や拡大を前提とする現代社会に対する警鐘の意味を持つ。
つまり、成長や拡大を前提とせずに「現状維持の可能性」を模索しようという、極めて消極的な概念だ。
これでは、地球環境や南北対立の課題解決が、遅々として進展しないのも当然だ。
成長や拡大が限界を迎え、すでに環境や資源の破たんが見えてきているのに、まだ「可能性」などと生ぬるいことを言っているのは、「そのうち何とかなるだろう」と言っているに等しい。
僕が憤りを感じるのは、この言葉が単なる先送りの呪文だと知っているからだ。

僕が「永続支援という仕事」を打ち出したのは、2019/5/13のこと。
(詳しくは、こちらを参照 https://nanoni.co.jp/20190609/
「永続」という言葉には「終わらないこと」という意味を込めている。
「持続=長期的に維持する」と「永続=いつまでも維持する」の違いは、「長期」と「いつまでも」の違いであり、それは「終わるか終わらないか」に辿り着く。
だが、「終わらない努力」とは、「終わるのを先送りする」で良いのだろうか。
「終わらない状態」を想定し、その実現に着実に近づけることこそが、「終わらない努力」だと僕は思う。
だとすると、「終わらない状態」とは一体何なのか。
そこで僕は、「終わり=成功or失敗」と定義した。

僕がこの発想に辿り着いたのは、1999年に倒産を経験した時のこと。
会社の倒産はもちろん大失敗だし、できれば倒産などしたくない。
だが、顧客が離れ資金が枯渇し、いよいよ倒産を回避できなくなった時、僕はふと気が付いた。
会社は潰れても、仕事を続ければいいんじゃないか、僕が続けたいのは会社じゃなくて仕事の方ではないだろうか…と。
とたんに僕は清々しい気持ちになって、仕事継続に向けて走り出した。
会社の道連れにしないよう、顧客には契約解除を申し入れ、全ての顧客を説得した。
顧客の次は、社員に退職金を支払って解雇という避難をしてもらい、続いて下請けや取引先を招いた債権者集会を開いて現状を説明し、「無駄な延命をせずさっさと潰れろ」という決議を頂き、最後は1999/8/9東京地裁に破産申し立てをした。

その翌週、解約顧客と再契約したダミー会社から、下請け業者と退職社員に対し、工事再開を宣言した。
もちろんすべてが脱法行為だが、全責任を僕が負うので気分は爽快だった。
(この顛末はこちらを参照 https://nanoni.co.jp/juku/a10/
その後、なんとダミー会社に仕事の依頼が入り出し、ついつい3件受注してしまったが、いつまでも脱法状態を継続する訳にもいかないので、2か月後の10月1日に新会社を設立した。
(建築屋 辰 https://esna.co.jp/
そして5年後には仲間たちに引き継いで、僕は会社を飛び出し、IID世田谷ものづくり学校の校長として事業再生に取り組んだ。
その後、世田谷区の各部署から様々な相談を受け、起業者と地域社会を繋ぐビジネスに取り組んだ。
2011年の東北大震災で僕は日本経済の崩壊を確信し、独自の起業支援事業「アントレハウス駒沢」を開業し、起業支援と創業支援を本業に位置付けた。
その後、YTさんの笑恵館事業を支援するうちに自ら日本土地資源協会を設立し、永続支援を本格スタートすることになった。

まるで略歴紹介になってしまったが、僕が言いたいのは、これらの実績に「成功や失敗」は関係ないということだ。
それは、「予定や想定通りに行ったか行かなかったか」の違いに過ぎず、「やるかやらないか」こそが問題で、その結果を踏まえて「次をやり続ける」ことにこそ意義がある。
その理由は簡単で、単に「終わりたくない」から。
もちろん失敗で終わるのは悔しいけど、たとえ成功しても終わる気はさらさらない。
なぜなら、僕はいつだって「その先の未来」が気になるから。
そんな僕にも「死」という終わりがあり、それはすべての生き物に共通する。
つまり、全ての生き物は「死後の未来」を持っていて、そのために生きていると僕は思う。

死後の未来は自分で実現できないし、それを見届けることはかなわない。
必ず誰かあるいは何かに託すしかないのが現実だ。
だからこそ、全ての生き物は子孫を作り、自分の続きを託している。
不老不死を夢見る人がいるかもしれないが、自然が死を選ぶことで進化を獲得したのは明らかだ。
つまり、新陳代謝を繰り返しながら世代を重ねることで、生き物全体がこの世界を形成している。
だとしたら、僕たち人間が世代を超えて目指すものが、地球の未来を方向付けると考えることは驕りではない。
むしろ、人間だけでなく、すべての生き物が目指す未来を探すことこそが、僕らに課せられた課題なのだと僕は思う。

めちゃめちゃ壮大な話になっちゃったので、少し小さくまとめたい。
地球上に生命が生まれて以来、すでに数十億年が経過しているが、その間多くの種が絶滅している。
もちろんその大部分は、自然淘汰によるものだったかもしれないが、人類が滅ぼしてきた種も数多い。
そして今、ついに人類は自分の行為が自らの存続を脅かしていることに気付き、その運命に抗おうとし始めた。
僕は、そのことがまさに人類らしさを示す特質と感じ、愛おしくさえ思う。
つまり、せめて自らを滅ぼす行為を改め、永続を目指すことで他の生き物たちと共生していきたい。
そこで僕は、「個人所有」こそが世代の継承を阻み断絶を生む諸悪の根源であり、日本ではすでに地域社会の衰退を招いていると断言する。
所有の法人化、非営利化(財産の共有)、仲間づくり(家族の非血縁化)などは、全て「個人所有」に代わる新たな選択肢の提案だ。
「存命中の幸せ」だけを考えて「死後の未来」を放棄すること…そんな個人所有から脱却するお手伝いを、僕は「永続支援」と名付けた。
続きは是非、直接お目にかかって話したい。