A10.破綻学(倒産覚悟の経営のすすめ)

人々は失敗を忌み嫌い、決して直視しようとしません。しかし、失敗を知り、自ら想定できなければ、責任あるビジネスのチャレンジはできません。このセミナーでは、松村拓也が自らの起業活動の原点と位置づける「辰建設㈱倒産事件」の現場にあなたをご案内し、失敗を直視して克服する発想法を手ほどきします。テキストの「倒産覚悟の経営のススメ」は、このサイトに全文を掲載していますので、自由にご覧ください。

内容

1.経営者は倒産を覚悟せよ

私は4年前に創業者の父の跡を継ぎ、都内で建設会社を経営しておりました。この会社のメインバンクが昨年6月に経営破綻に陥り、8月には弊社も倒産に至りました。当然、私は全ての資産を失い裸同然になりましたが、10月には新会社を興し、再スタートを切りました。残った30人の元社員達と倒産時の仕掛かり工事をやりながら、同時に管財人の元での破産処理も進めていきました。実際、裸になった私には、感傷に浸る暇など1日もありませんでした。ですから昨今は、もう倒産時の苦しみは忘れて、心新たに仕事をしようと皆様から励ましを頂くようになりました。ですが、私の思いは全く逆です。倒産に対する配慮無くして経営はあり得ませんし、むしろ倒産経験の中に経営の本質を見いだしたとすら思います。

再建を目指し、少しでもましな潰れ方を模索する中で、私は多くの「倒産キーワード」に遭遇しました。「資金ショート」、「営業譲渡」、「詐害行為」そしてエトセトラ。企業経営を映画にたとえるならば、どれもあくの強い脇役達で、主役はもちろん社長です。出来ることならば、登場させたくない役者揃いですが、倒産の場面になると、どうしても出てきます。こうした脇役達すべてと、きちんと対応しないと幕を引くことすら出来ません。しかし、倒産の仕方は誰も教えてくれません。倒産回避の論議は活発ですが、どのように倒産するかは自分で決めなければなりません。「キーワード」たちは待ってくれません。期日を定めて押し掛けてきます。社長は決断の日々が続きます。

一方、振り返ると、家族や社員達がいます。この人達のことを思うと、決断は鈍ります。板挟みのまま、次々と分かれ道にさしかかります。「なぜ、こうなるまで気がつかなかったのか、こうなるまで放っておいたのか」と悔やんだその時、私は悟りました。このことがまさに社長の本質であり、遅ればせながら私は、今それに気づいたのだと。それからというものは、この思いは日増しに強まり、力が湧いてくるのを感じました。すべての「キーワード」たちに対し、自分の言葉で答えていきました。

すると、不思議なことが起こりました。私に対し、自らの失敗を語り、アドバイスをしてくださる方が何人も現れました。それは、立派な経営者であったり、銀行の方であったり、暴力団関係の方までいました。そしてどの方も自身の倒産経験を貴重なノウハウとして位置づけているのです。先ほど、「倒産の仕方は誰も教えてくれない」と申しましたが、それもそのはずです。「倒産を覚悟して経営に当たること」こそが、実は経営の真髄なのです。私は、このことを知らない素人経営者だったから、当然会社は潰れたのです。

今、企業の共栄時代は去り、競争の時代を迎えたと言われています。しかし、企業が競うその前にまず、素人経営の淘汰が起きているのではないでしょうか。私は自分も含め、やむを得ないことと思います。しかし、志をもって、一番がんばっている経営者だけが加害者として葬られることに、憤りを感じます。これからの起業家も含め、競争時代に参加するためには、常に「倒産(失敗)」を具体的に想定し、「倒産覚悟」の責任ある経営が求められるのです。

2.資金繰り

資金繰り (銀行対策→再建計画→最終段階)

「資金繰り」は会社経営の命です。私は倒産に際し、3つの場面でそれを痛感しました。

第1は銀行対策です。我が国の企業は諸外国の企業に比べると際だって銀行依存度が高く、全資金の8割を銀行借り入れで調達しています。ちなみに、アメリカでは2割だそうです。運転資金を銀行から調達し、手形を更新していると、いつしかその資金は自分のものになり、金利を経費と考えるようになります。そして、あたかも銀行から出資を受けて、金利という配当を払っている感覚になります。こうした企業にとって、株が無配でも金利は払うのですから、銀行は株主以上の存在です。自ずと銀行に対する体面を気にします。資金繰りをはじめとする全ての経営データが対銀行用に作成され、決算書に至るまでその配慮が徹底されます。経営者もメインバンクからの評価を最重視するようになり、メインバンクに誉められる経営を目指すことになります。

従って、銀行に対しては見通しの立たない資金繰りなど絶対に見せられません。手持ち工事はシビアに見ても、新規受注については楽観的見通しでメインバンクを説得し、「お墨付き」を頂いた上で他行にも見てもらいます。だから、メインバンクの破綻は致命的です。「お墨付き」を失った資金繰りは単なる見通しです。銀行は資金繰りの根拠を求めてきます。しかし、メインバンクからの借り入れで成り立っている資金繰りはどうすることもできません。

相談相手を失った私は弁護士と共に資料を作成して裁判所に行きました。「会社更生法」の事前相談です。更正法を適用すると、全ての返済はとりあえず凍結されますが売掛金以外の資金調達の道も全て閉ざされます。まさに自力で飛ばなくてはならないのです。即座に第2の資金繰り、つまり更正法下での資金繰りを作成しました。この資金繰り表は、入金と支払だけの極めてシンプルなものになりました。借り入れの返済や手形の決済を全て消してしまうのですから楽にならないはずはありません。私は2代目社長なので、こんな資金繰りは初めて見ました。資金繰りの原点を見た思いがしました。

しかし、裁判官の追求はそこから始まりました。「入金予定は絶対に狂わないのか?」、「現場はこの支払で確実に動くのか?」という問いに、根拠をもって答えなければなりません。資金繰りは見通しではなく根拠をもった計画であることが要求されるのです。

結局更正法の適用は断念し、自主再建目指して「スポンサー企業」と折衝を開始しました。施工中の仕掛かり工事だけでも救うためです。折衝の要は仕掛かり工事の資金繰りです。即座に第3の資金繰りを作成しました。業務を他社に移行する際の資金繰りは、移行先では作れません。こちらで作成したものを相手に納得してもらうしかありません。もう後はありません。この資金繰りは嘘も赤字も許されません。何が何でも成立させなければ、誰も引き受けてはくれません。ここまでくると、資金繰りを作るのは経理担当者ではありません。社長と営業と工事が個別にお客様と下請け業者の両面を調整しながら作らなければなりません。承認を得るまで、眠れない日々が続きました。

結局、ダメ経営者の私は、業務の一部を他社に引き継ぐために、初めて「本当の資金繰り」を作ったのです。資金繰りとは「見通し」ではなく「シナリオ」です。成り立つ「シナリオ」を作り、この通りに演じることのできない企業は舞台に立つ資格すらないのです。

3.情報開示

七月二日金曜日の朝、私は役員全員を集めて話を始めた。すでに資金繰りは逼迫し、新規の顧客や下請けの一部に信用不安が広がりつつあることを説明し、「今日の安全大会を、会社状況説明会に切り替え、会社の実状を発表したい」と。

一同顔色が変わった。当然だ。「社長は気でも狂ったのではないか」とある役員が口火を切った。「何故いきなり公表しなければならないのか。その前にまだやることがあるのではないか。」というのが大勢の意見だった。私は「公表しないことは単なる時間稼ぎだ。ここで時間を稼いでも、事態は少しもよくならない。むしろ悪くなる一方だ。」と説明した。「会社は本当にダメなのか、突然会社が立ちゆかなくなるなんて理解できない。」役員達の反発は続く。私だって同じ思いだ。でも、この一ヶ月奔走した結果、私にはそのことが分かり、他の人は分かっていないだけのことだ。情報を開示せず内密に事を進めるということはまさにこういうことなのだ。最後に「反対意見は全て聞いた上での私の独断ということで結構です。ただし、役員会の決定事項については絶対に従って下さい。他所でこそこそ反対意見を言うことは絶対にしないで下さい。」と結び、事は決した。

夕刻、会場に社員と主要な下請さんが集まった。「大変ですね」と声がかかる。誰もが会社の窮状を薄々知っており、こちらから説明を申し出たことは好意を持って受け入れられた。そこで、「会社は何とかがんばるから、仕事の方は宜しく頼みます。」といえば、下請各社はとりあえず安心して帰ったかもしれない。でも私は逆のことを言った。「残念ながら、会社はいつまで維持できるか分かりません。このままだと、早晩資金はショートします。皆様にお預けした手形の決済もどこまで出来るか分かりません。でも仕事は続けたい。スポンサーを捜して今日以降の支払いについては絶対に実行しますので、仕事を進めて下さい。仕事をしなければお金は入りません。お願いします。ただし、これ以上続けると自分の身が危ないという業者さんは、どうぞ避難して下さい。自分の道具や材料を持ち帰っても構いません。」これだけのことを話すのに、一時間くらいかかったと思う。

私は最後に謝罪の言葉を添えて話を終え、改めて場内を見渡した。朝の役員会と同様の空気を感じた。納得した顔は一つも見あたらない。でも、私はもう石を投げてしまった。「これで、明日からみんなが動き出すか、私が抹殺されるかのどちらかだな。」と言う思いがよぎった。そこはまさに地獄の一丁目だった。

翌朝出社すると、すでに玄関には下請さんが一〇社ほど集まって、当社の幹部と話をしていた。「昨晩は、経験不足の二代目社長が窮地に追い込まれた結果頭に血がのぼって訳の分からないことを言ったのかもしれない。一晩休んで、少しは落ち着いただろう。」皆の顔にはそう書いてあった。私は、昨夜の話をまず現実化しなければならない。真実は作るものだ。これから私が全ての人に同じ事を言い続ける以外、私の言ったことを真実にする方法はないと気がついた。

ロビーでは下請さん達がずっと私を待っていた。私は役員会をそうそうに切り上げるとロビーに行った。即座に「どうしてくれるんだ!昨日の話じゃ、まるで会社が潰れるような話じゃないか。きちんと説明をしろ」と詰め寄られた。私は「申し訳ない。こうなった以上一刻も早く皆さんにこのことを伝えなければとの一心だった。何でも言ってくれ、生き残るためなら何でもする。」と答えた。一人がすかさずこう言った。「うちにだって、資金繰りってもんがあるんだ。お宅の手形が不渡りにでもなれば俺は夜逃げでもしないと殺される。」。みんな頷いて、「そうだそうだ」の大合唱だ。「ほんとに逃げなければ駄目なのか?」と訪ねると、「当然でしょう。それが倒産ってもんだ。」と顔を見合わせて納得している。そこで私は「逃げたら駄目だ。逃げるのは死ぬのと同じだ。逃げるくらいだったらこの会社に来て下さい。私と一緒にここに立て籠もろう」と真顔で答えた。一同口を開けて唖然としていた。「駄目だこいつは、頭がおかしいよ。」とあきれ顔だ。私は「私は真剣だ。私も絶対に逃げないでずっとここにいる。他にもそういう人がいたら伝えて欲しい。どんなに困っても、これ以上高利貸しとはつき合うな。そんなことしても解決しない。腹をくくって、ここで一緒に謝ろう。」と、まわりにいた社員達にも聞こえるように大きな声で言った。社員の一人が私に微笑み返した。「よし!」私は胸の中でほんの小さな灯がともるのを感じた。

その日から、私には「警護担当」の名目で四六時中社員が張り付いた。私は逃げるどころか、社員達の監視下におかれた。

4.営業譲渡

メインバンクが破綻したとき、私は「すでに自力で維持できない会社になっていた」ことに気がついた。「もしもメインバンクが潰れたら」というリスクに対処できる会社こそが自立した会社であることを、理屈では知っていた。だからこそ、私はこのことにすぐ気がついた。すぐさま私は新たな資金源を求め、「営業譲渡」の道を模索した。メインバンクの動向に関係なく業務を継続するためには、他の方策は考えられなかった。

私は弊社を傘下に納めることによりメリットが生じるであろう企業をリストアップした。弊社はすでに落ちかけているまずいリンゴだ。それでもメリットがあるということはどういうことか。それはまさに自分を客観視する作業だった。市場における自社の必要性や存在価値に関して本当の吟味をしなければならない。夜を徹して説明資料を作る中で、欠陥ばかりが浮き彫りになった。これではいけない。私は雑巾を絞る思いでわずかの輝きが探していった。

換金できる会社の資産は返済に回さなければならないので、譲渡したいのは換金できない部分だ。そう考えると、皮肉にも本業そのものが残った。我が社の仕事は必要とされているのか、我が社が仕事をやめると誰が困るのかと考えたとき、最初に浮かんだのは建築の発注をいただいた施主達の顔だった。「潰れるような会社に家を建てさせた」という汚名が今まで作ってきた全ての建物につきまとうのかと思うと、私は居たたまれなくなった。

スポンサー候補との面談が始まった。意外なことに、どの企業も大変前向きであった。しかし、かえって私は困惑した。「前向きに検討しましょう」という言葉は、今は信用できない。後にメイン以外の銀行を始め、多くの債権者の方々が「前向きに支援を検討する」と申し出て下さった。しかし、それには必ず交換条件があり、当方がまずその条件をのむことが要求された。全ての債務を肩代わりしてくれるようなおめでたいスポンサーがいるはずはない。とはいえ、債権者に対する迷惑を回避できない以上、一部の債権者にメリットを与えることもしたくない。なぜなら、最後の目的は仕事の継続であり、迷惑をかける会社とも取引を継続しなければならないからだ。その結果、弊社と貸し借りのない企業に絞って交渉することにした。

私は結論を急いだ。「会社は倒れるかも知れないが、仕事は続ける」と宣言するためには、どうしてもその裏付けが欲しかった。しかし、交渉相手からは「何とか会社を存続できないのか。絶対に駄目なのか?」という問いかけが返ってくる。当然だ。誰だって、死んだ会社に興味はない。タダでさえ会社の実状は外見や資料だけでは分からないのだ。しかし、私にも最後の意地があった。本当に万策が尽きる前に城を明け渡すつもりはない。議論は必ず「鶏と卵」に陥ってしまう。今であれば、「民事再生法」の出番だ。会社を存続するために経営破綻を宣言し、破綻を前提にきちんと交渉できる。やむを得ない。私は先に行動を起こした。

企業には寿命があるとしても、経営には終わりがない。自らの意志で立ち止まらない限り、少しずつでも前進できる。「走りながらバトンを渡すことが出来れば」と譲渡先を模索したが、一方で「バトンを渡すのは最後の手段」という覚悟が邪魔をした。結局、営業譲渡は実現しなかった。しかし、新しい理解者が何人も現れ、解雇した社員達が会社を起こした時、真のスポンサーが出資を決めた。

5.詐害行為

<【詐害行為】債務者が故意に財産を減少させ、債権者に充分な弁済を受けさせないようにする行為。権利者にはこの行為を取り消すことが出来る(債権者取消権)。>

会社の破綻を公表したときから破産の申し立てをするまでの約1月間は、かつて経験したことのない、また2度と経験したくない期間となった。取引先の担当者がひっきりなしに来社し、手形の買い取りや債権譲渡を求めてきた。私はこれらの申し出を全て断った。動揺する社員に対し「通常通りの振る舞い」を求め、取引先には「当社は未だ何も約束を破ったわけではない。皆さんの申し出は理解できるが、あくまで期日通りに決済していく」と説明した。とはいえ、本当は私自身どうして良いか分からなかった。しかし、「約束」という言葉にこだわり続ける自分には気がついていた。

私が初めて「詐害行為」という言葉を聞いたのは、借入金の繰り上げ返済を迫りに来た銀行の担当者からだった。担当者は言った。「貴方は、会社の保有する資産をどんどん売却しているようですが、それは詐害行為にあたるのではないですか」と。確かに当時、換金可能な有価証券などを全て売却し、支払いのための資金を捻出していた。「会社が危ない」と公表した以上、仕掛かり工事の中間金などはとても回収できない。保険積立金や預け入れ保証金などを契約解除してでも回収した。こうした行為は、会社の資産劣化を招き、結果的に債権者に不利益となる詐害行為だというのだ。「それではどうすればよいのか?」と私は尋ねた。すると彼はこう答えた。「まず当行にご返済下さい。そうすれば私は2度とこのようなことは申しません。」

このことは、以後の私の行動を決定づけた。今後の資産売却や資金の移動については、債権者の都合ではなく、全て当方の意志で判断し実行しようと思った。会社の金庫が空になる日まで、全ての債権者に対し、差別なく当初の約束通りの支払いを続けるしかない。それがビジネスにおける正しいやり方だと思った。これを詐害行為だと非難される日が来るかも知れないが、その時はそれを甘んじるしかない。

ビジネスというゲームが「損得」で成り立っているのに対し、経営は「契約」で成り立っている。請負契約、雇用契約、貸借契約を履行し続けることが経営であり、これらが行き詰まったときゲームは終わる。終わりを想定したとき、契約の意味は従来と全く違うものになる。借金は返済を迫られ、支払いは猶予できなくなる。豹変し、脅迫まがいの行為にでる人もいる。しかし、その力関係に屈して手強い債権者に優先して返済をすることこそが詐害行為ではないだろうか。 零細な下請け業者に対する5万円の債務と大手銀行に対する10億円の債務はどちらが重いのか。継続取引のある相手と一見の取引先の違いは。個人保証の有無をどう考えるのか。契約が履行できなくなったときこそ、契約にこだわる必要を痛感した。全ての契約を等しく尊重し、等しく処罰される以外、詐害行為を回避する手だてはない。私は涙をのんで5万円の返済も断った。

結局私が最後までこだわったルールは「契約」という経営の原点だったのかも知れない。

6.労働債権 解雇

ほとんどの社員は、社外の方たちと同時に会社の危機を知ることになった。社内では経営の行き詰まりについての議論がそれ以前からなされてきたのだが、この時初めて「議論」が「現実」に変わった。

メインバンクの破綻に見舞われた弊社はその点では被害者ではあるが、自分も破綻してしまえば加害者になる。会社の構成員たる社員は当然加害者として社外から誹りを受けるが、同時に職を失う被害者でもある。しかし、背中合わせの2つに立場をあえて切り離して考えなければ事態は打開できない。そこで、私は協力会社に要請したときと同じように、社員達にこう求めた。「社員の安全と生活を守るために会社が出来ることは何でも提案して欲しい。」と。これに対し、一部の社員が「こんなに突然会社が潰れるはずがない。社長が会社を潰そうとしている。社長は元々会社を続ける気がないんじゃないのか。」と猛烈に反発した。しかし私は取り合わなかった。今は「会社が潰れるかどうか」ではなく、「会社が潰れたらどうするか」を論じているのだから。

労働債権は税金の次に優先される債権ではあるが、それは法的な整理段階に入った後の話である。「業者への支払と社員の給与とどちらが大切か」という問いに対し、私は今でも答えられない。社員の家族と下請の家族とどちらが大切かは比較のしようがない。何度もいうように、「約束通りの順序で支払を実行すること」だけが私の拠り所だった。そして結局は「正規な手続きに基づく解雇」こそが、社員に対して会社が出来る唯一の誠意ある対処であることが分かってきた。

「解雇」という言葉が会社の誠意であることは、以外にもほとんどの社員の理解を得た。「労働債権」などという権利の上にあぐらをかいてはいられない。しかし、一時金と退職金を全て支給するのはとても無理だ。業者に対する支払はもちろんのことだが、自らの債権を少しでも回収すべく未収金の洗い直しが行われた。こうした焦りの中で、さらに難題が持ち上がった。一部の社員が、退職金よりも「下請への支払を優先しろ」と言いだした。

会社の最後は近づいている。支払の度に「これが最後になるかも知れない」と考えることにより、「支払の意味」について夜毎議論が繰り返された。「下請と毎日つき合ってきたのは我々です。支払の金を退職金に回したりしたら2度と彼らと付き合えなくなります。」現場からの声は真剣だった。更なる回収を進めるしかない。JV工事の出資金を回収するために解約を申し出るなど万策を尽くした上で、もう一度手形の決済をし、残りを退職金の一部として支給することで決定した。

7月20日。新しく制定された「海の日」が退職一時金の支給日となった。全社員一人一人に順次現金を手渡しながら言葉を交わした。受取を拒否するものは一人もいなかったが、誰もが言葉少なだった。企業は人なり。業務はまだ継続するが、事実上今日で40年の会社歴史が終わった。

翌日、解雇された「元社員」たちは、ほぼ平常通りに出社してきた。席を並べる社員が一人は業務連絡に走り、もう一人は私物の整理を始めるという状況だった。私の呼び名も「社長」から「松村さん」に変わった。でも、社内には何かすっきりした空気が感じられた。「企業の死と誕生」が同時に起きることを私は身体で感じていた。

7.手形 銀行

メインバンクの破綻と同時に弊社の手形に対する不安が始まった。「○○銀行では**建設の手形を割らないようだ」といった噂が広まり、問い合わせの電話がかかるようになった。私がその銀行に電話して、「御行では弊社の手形を割ってくれないと伺ったのですが本当ですか」と尋ねると「そんなことはございません」との答え。でも私は「銀行は嘘をつく」とこの時感じた。決して銀行を責めているのではない。私だって行員だったらとりあえずそう答えただろう。人がすべて本当のことを言う訳ではない。信用不安とはそういうものだ。

手形は、支払いの繰り延べだけではなく、銀行からの資金調達にも使われる。財務の悪化に伴い手形貸付は固定化し、期日がくれば金利を支払って書き替えるようになっていた。経営計画の中でも金利だけが計上され、もはや返済予定のない「自分の金」になってしまっていた。受注さえあれば、資金繰りはいかようにも取り繕われる。大多数のゼネコンはにたような状況に追い込まれていると思う。バブル崩壊直後には実質無借金だった財務内容が不景気の名の下に極端な債務超過となっていた。弊社が不良債権化するのを恐れたメインバンクの楽観的な見解を、銀行のお墨付きと勘違いした盲目経営のなれの果てだった。

結局、信用不安の正体は、他でもない弊社の経営破綻そのものなのだと私は知った。しかし、社内の経営スタッフは誰一人それを認めない。「社長、諦めては駄目だ。銀行もきっと支援してくれる」と口を揃える。自分の破綻処理に追われていたメインバンクの担当者も「管財人は現状の残高を維持すると言っていますので、再建計画を作りましょう」と調子を合わせる。この人たちは、最後の最後までお互いを慰め合うつもりなのか。こうした銀行依存のやり方が常に問題を先送りし、会社を駄目にしたのだ。「社長、私がやります」という言葉は、最後まで聞くことはできなかった。

メイン以外の銀行からは担当者が頻繁に来社した。話は、「うちの返済だけはお願いします」とか、「どこの銀行に対しても交渉に応じないでください」という内容だったが、最後には「うちに引き金を引かせないでください」といい出す人がいた。「引き金って言うのはどんなことですか」と尋ねると、担当者はこんな話をした。「社長は何でも話してくれますが、銀行も疑心暗鬼になると間違いを犯すと言うことですよ。例えば手形の決済日には数行から同時に支払いが行われますよね。この時、本当に他行では支払いが行われているのか、決済資金は足りているのかといった心配があるわけです。1円でも足りなければ不渡りになるのですから、心配で決済したくなくなるんですよ」。「それで決済しないんですか?」と尋ねると、「そういうことも起きると言うことですよ。もちろん担当者は処分されましたが」と彼は不気味に笑った。最後の手形決済の日、3行で手形の決済をしたが、某都市銀行だけが昼過ぎになっても支払いを始めなかった。私は担当者に電話をし、「あなたが引き金を引くのならば、これから乗り込みますよ」と告げた。

破産後に立ち上がった新会社は、借入もできず、手形も発行できない。キャッシュフローそのものが財務のすべてとなり、資金繰りは工事部の仕事になった。資金が足りなくなったときは集金をするか、支払いを押さえる。経営は原点からやり直しだ。

8.Xデイ(計画倒産)

平成11年7月2日の情報開示以後、1度の定時支払と2度の手形決済をおこなった。その都度、興信所などから「○○日が御社のXデイかという問い合わせがあるのですが、どうなんですか?」という電話がかかってきた。私は「その時が来たらきちんと発表します」と答えたものの、本当はよく分からなくなっていた。「会社は潰れるが、仕事は続ける」と言った私の言葉は、当初は相手にされなかったが、次第に現実味を帯びてきた。仕掛かりの工事は全て別会社に契約を移し、我々はその下請となって現場を守っていた。換金できる資産は全て売却し、ついに従業員も全員解雇したが、会社はまだ業務をしていた。

最期の手形決済をした翌日には、下請各社から「本当にありがとうございました。」という電話が相次いだ。すると、元社員達はこう言いだした。「うちのXデイはいつなんですか?」、「うちはいつ倒産するんですか?」と。東京商工リサーチ社の担当者が、この問いに答えてくれた。「【倒産】と言う言葉は、弊社が作った言葉で、正式な経済用語ではないんです。企業は誰かが【整理】しない限り、存続するのです」と。私は不思議な気持ちになった。「不渡を2度出したら倒産」と誰しもが思いこんでいるが、これは単に銀行取引が停止されるにすぎない。手形を振り出さない会社であれば、不渡もない。つまり、第3者から破産させられない限り、企業の命は自分で決めるものなのだ。

私は自ら死ぬ気はないが、もう支払いは出来ない。そこで、急遽「債権者説明会」を開催して皆さんの意見を聞くことにした。やることは2つ。清算B/Sの作成と通知の発送だ。資金繰りの話は以前にしたが、この最期の資金繰りは、「会社が潰れた場合のB/S」だ。つまり、簿価で計上されている資産を、売却あるいは回収した場合の金額に置き換えていき、現時点で会社を整理したときに債権者に幾らくらいの配当が見込まれるかを計算するのだ。楽観的な数字は排除していくと、一般債権の配当率は1%を下回った。厳しい数字だが、これこそが、倒産を意識していなかったときには見ようともしなかった、会社の本当の姿なのだ。

その翌日から債権者からの問い合わせや来社が始まった。真っ先に怒鳴り込んできたのは、銀行だった。「これは一体誰の作った筋書きなんだ。完全に計画倒産じゃないか!」「こんな話は今まで聞いたことがない。銀行を騙したな!」と、担当者はものすごい剣幕だ。しかし私はこう答えた。「筋書きどころか、私だってこんな経験は初めてです。だからこそ、今まで全てお話しし、ご相談してきたのです。【計画倒産】とおっしゃいますが、世の中に【無計画倒産】等というものがあるんですか?。懸命に考えてきた結果がこのざまなんです。申し訳ありません。皆さんに今後のことをご相談するのが今度の説明会です」。

一方、一部の下請業者の方たちは、むしろ逆のことを言ってきた。それは「いつまで生きているんだ。早く潰れてくれ。さもないと、協力したくてもできないし、未収金も損金に出来ない。」とか、「きちんと潰れてくれないと、倒産防止共済の資金も使えないじゃないか」という生き残りをかけた経営者達の叫びだった。

私は、人間としては自ら死ぬことは出来ないが、企業としてはその生死を決めなければならない。だからその日を決めた。「Xデイ」とは「何かが決まる日」だとわかった。

9.取り立て、暴力団

企業が債務超過に陥ったとき、「倒産覚悟」は絵空事ではなくなる。不良債権の処理に苦しむ日本経済の現状を見るに付け、「倒産回避」とは「債務超過からの逃避」と言わざるを得ない。債権債務のバランスを見るための貸借対照表が、過大な債権と過小な債務で埋め尽くされ、多くの企業で、経営者が自分の頭を粉飾している。

取り立てにやってくる債権者の大部分は、同業者や関連業種の方達だった。一般債権者となるこうした方達は、何の担保もなく契約と手形を信用してお付き合いいただいてきた「裏切ることの出来ない大切な方達」だ。すでに、発注者や元請けの夜逃げや倒産に何度も遭遇し、どなたも満身創痍(そうい)だという。昨日までにこにこ挨拶していた方達が、実は私同様あるいは私以上に追いつめられた方達なのだと分かった。

私は以前から「会社が破綻すると、こうした人たちが押し寄せてきて、会社も現場もめちゃくちゃにされるんだ」と聞かされてきた。「だからこそ、裁判所に申し出て法的に守ってもらうんだ」と。かく言う私も、裁判所に「更正法」の相談に行った。「自分が身を引いてでも会社と現場を守らねば」との一心だった。「更正法」が適用になれば、当座の混乱だけは避けられるだろう。でも、私が取り立てる立場だったらどうだろうか。裁判所に駆け込む会社などとつき合うだろうか。裁判所からも同じことを言われた。「貴方のいないこの会社を貴方はどうやって再建するのですか?」と。私は逃げだそうとしていた自分に気がついた。私が対峙しなければならないのは、初対面の裁判官ではなく、お世話になっている債権者の方達だ。

債権者の中には、暴力団を差し向ける方や、暴力団本人も混じっていた。一見の取引先であれば、その怒りもなおさらだった。強面(こわもて)で乗り込んでくる彼らの対応に、社員達がよく頑張ってくれた。しかし、彼らは「プロ」だ。「取り立て」とは明らかに違う目的を持ってやってきた。それはいわゆる「債権者対策」だった。「取り立てにくる一般債権者達を、私ならおとなしくさせますよ」と言うのだ。わたしは「なるほど」と思った。

経営者にとって、会社倒産の恐怖は、結局「我が身に降りかかる危険に対する恐怖」だ。情けない話だが、法的手段を講ずるのもこのためだと思う。事実、法的手段を何も講じなかった私の所へは、怖い人たちが何人もやってきた。ところが、前述の通り、この人達が「私は貴方の見方です。貴方を助けてあげましょう」と言い出すのだ。まさに地獄に仏である。社員達は動揺した。「社長、これはいい話かも知れません」と言うささやきに、私の心は確かに揺れた。しかし、これが彼らのビジネスだ。「倒産を闇の世界にしているのはこの人達だ」と思った。そこで私は彼らに「今は破産も覚悟しています。ゼロからやり直そうと思います」と言った。すると案の定、彼らは「社長!諦めちゃ駄目だ。きっちり応援するから一緒にがんばりましょう」と私を励ました。これが彼らのビジネスだと私は確信した。

情報開示したその日から、大勢の方達が会社に押し掛け、我々も詰め寄られたが、総じて皆さん紳士で、大きな混乱はなかった。このことは、後に新会社で業務を再開するときに大きな信用となった。当面、債権者の中からは連鎖倒産も出なかったのも、皆さんが本当に戦った証拠だと思う。私の所よりもっとひどい人達が来たに違いない。それを思うと、人様のおかげで自分が生かしていただいていることを感謝したい。今日は涙が出た。

10.破産

平成11年8月2日。弊社は債権者説明会を自主的に開催した。換金できる資産をほとんど支払いにあて、従業員をすべて解雇し、本社事務所まで明け渡してしまった弊社には、担保見合いの債権と未収金、そして膨大な債務だけが残った。はじめに情報開示した日からちょうど1ヶ月が経っていた。

「清算貸借対照表」を配布し、残存する債権と債務の状況を説明した後、質疑応答が始まった。「計画倒産だ」とか「詐害行為だ」といった叱責が続いたが、最後は社長である私の「意図」の問題となった。「なぜ貴方はこんなに急いで会社を潰したのか」と。私は答えた。「私は会社を潰そうと思ったことはこれまでに一度もありません。私は【会社を続ける】ということは【仕事を続ける】ことだと信じています。だからこそ、皆さんに対する迷惑は最小限にしなければなりません。なぜなら皆さんの協力無くして仕事を続けることなど考えられないからです。弊社の破綻は確かにメインバンクの破綻が原因ですが、おかげで弊社の病が重傷であることが即座に判明しました。私には時間がありませんでした。皆さんへのお支払いができるうちに、仕事を続けるために必要な手段をすべて講じなければなりませんでした。皆さんにはひとまず多大なご迷惑をおかけすることをお詫びいたします。このご恩は、仕事を続けることにより必ずお返しいたします」。その後、複数の出席者から「破産」を求める動議が出された。これを請け、直ちに破産の準備にかかることで会議は決した。

「会社の破産」は、ビジネスというゲームの敗者に対する最終処理で、すべての債権債務が裁判所の監督下で処分され企業は跡形もなく消滅する。しかし、これは大企業の話で、中小企業はそうはいかない。オーナー社長は会社に対して私財も投じているし、会社の債務の連帯保証もしているのが実状だ。だから、オーナー経営者は倒産を直視できない。「会社破産=個人破産」というのがオーナー企業の常識だ。私に対しても、様々な噂が流れた。「財産を隠すために離婚した」とか、「スポンサー企業と、陰で取り引きしてる」といった中傷がどこからともなく聞こえてきた。だから、私はあえて毎日出社し、誰とでも面談した。

私は、現状の低金利政策に甘んじて、元本返済をせず、問題をすべて先送りにしているダメ経営者諸氏(私も含む)に強く警告するとともに、「倒産を直視する」という処方箋を書いてきた。しかし、何度も言うが「ビジネスはゲーム」だ。勝者がいれば敗者もいる。そして、従来は8割以上の経営者が勝者でいられたが、今後は半分以上の経営者が敗者となるだろう。しかし、ビジネスで破れたからといって、人生は終わるわけにはいかない。なぜなら、貴方は自らの力で事業を興す「貴重な人財」なのだから。さっさと清算して、次のゲームを始めよう。その時、債務免除や再生法で生き延びるか、破産して裸一貫やり直すかは貴方の判断だ。私は迷わず裸になって、歩き続けることにしたまでのこと。

最後に、読者の皆様にはお詫びをしたい。何でも自分でやっているように書いてしまったが、本当は社員や友人たちがやってくれたことばかり。眠れぬ日々は、いつも家族が支えてくれた。そして、最終的に「当事者能力無し」として更迭してしまったが、そんな社員と、私を育てた創業者の父に、感謝している。

長い間ご愛読ありがとうございました。 次作にご期待下さい

この文章はNEXUS編集部の許可を得て、全文掲載させていただきました。

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