死後の未来

僕は、自分が何を望むのかを知ることが、何よりも大切だと考える。
なぜなら、自分の望みが叶うこと、自分の願いを実現することこそが生きる目的だから。
「・・・ができたら死んでも良い」という言葉が、まさにそのことを指している。
そして、「思い残すことが無い」という言葉は、実現を目指してやり遂げたことに対する満足を示している。
言い換えると、たとえ願いが実現しなくても、実現のために尽くすことができれば悔いは残らない。
だがこれは、実現できなかった力不足を許しているのでなく、努力の中に自分なりの実現を見出しているに違いない。
生きる目的とは「自分の命の使い道」であり、実際に生きることでそれは変化する。
ここで大切なことは、それを探し・選び・決めることができるのは、自分自身しかいないこと。

僕は、会社の倒産でこのことを経験した。
すべての関係者が望む答えは「倒産回避」に決まっているが、「経営破たん」とは、それができない状態だ。
だが、労働債権と税金を優先し、残りを平等に痛み分けという「破産法の示す解決策」には、到底納得できない。
お金をくれる顧客と、お金を払う取引先が「平等な被害者」のはずがない。
そこで僕は、労働債権の一部を切り崩しながら時間を稼いで、顧客の救済に奔走し、全ての顧客と契約解除してから会社の破産を申請した。
後に「計画倒産」や「詐害行為」と誹りを受けたこの行為に、反対する者はいなかった。

もちろん、このこと自体僕個人の考え方であり、決して推奨や強要をする気はない。
だが、誰もが自分にしか分からないことに悩み、その答えを探しているのなら、それは他人事ではない。
たとえ答えは違っていても、同じ課題を持つ者同士で協力できるに違いない。
倒産の経験を生かして多くの企業の相談に乗るうちに、世田谷ものづくり学校の経営再建を請け負ったことがきっかけで、世田谷区に提案した起業支援も「自分の願いの探し方」だった。
その後、東日本大震災をきっかけに開業した「アントレハウス駒沢」や、相談者のTさんと一緒に立ち上げた「笑恵館(しょうけいかん)」にも、様々な方が相談にやってきて、自分の願いを模索する友は今も増え続けている。
まつむら塾は、そんな友が困ったとき、いつでも相談に乗るためのプロジェクト。
このブログもメルマガも、まつむら塾で感じ・考え・実行することを、皆さんに届けるためのメディアにしたい。

おっと、話を戻そう。
生きる目的とは、その実現を目指す夢や願いのこと。
そこで、そんな夢の描き方を学ぶ「実現学」を、すでにスタートしていることはご承知の通りだ。
だが、今回まつむら塾を本格稼働させた本当の目的は、もう一つのプログラム「地主学」の開講で、こちらはまさに「夢の実現方法」に挑んでいる。
僕の提案する方法はずばり「国づくり」、誰もが自分の国を作ることこそが「みんなが主人公=民主」という発想だ。
もちろん教科書は、拙著「地主の学校」で、受講生の皆さんには「地主=地域の主役」を目指していただく。
みんなが主役、つまり王様になっちゃおうという「真の民主社会」の実現はもちろんのこと、その理論としての地主学でさえ、まだ世界のどこにも存在しない。

そこで、ここからが今日のお願いというか、提案だ。
僕は「生きる目的」を、「生き終わる時=死ぬ時に実現しておきたいこと」と考え、「自分が死んでも誰かが引き継いでくれる状態=継承」を重視している。
仲間づくり、土地所有の法人化、夢の共有など、全ての取組は「死んでも終わらない継続性」を目指していて、それを「死後の未来」と呼んでいる。
だが、この言葉は、どうもよろしくない。
誰もが持つ共通課題なのに、「死」という言葉が忌み嫌われていて、明るい未来を描きにくい。
だが、「倒産」を回避せずに克服したように、僕が仲間づくりにこだわるのは「死」を克服するためだ。
自分が死んだ後、苦労して育てた会社や作った家を、維持して欲しいのか、売却して欲しいのか。
僕は維持して欲しい人の手伝いをしたいだけ。
「死後の未来」の、もう少し明るい言い方を募集したい。