無自覚の大多数

日本の国土面積(約37.8万km2)の半分弱(約17.9万km2)が民有地と言われているが、土地の固定資産税を払っている納税者数は4,155万人という。
固定資産税というのは民有地の所有者に対して課税される税なので、民有地をこの人数で割ると、一人当たりの所有土地面積は約4,300m2(1,300坪)となり、仮に全国民の人数がこの3倍だとすれば、国民一人当たりの土地面積は1,433m2(約433坪)となる。
また、民有地の他は、国有地7.84km2( 20.7%)、公有地 3.09km2(8.2%)、水路・道路等 2.68km2(7.1%)と続き、残り=不明6.29m2(16.6%)となっている。
もしも、残りのすべてが民有地だとすれば、民有地面積はさらに35%増加して、国民一人当たりの土地面積は1,934m2(585坪)となる。
なお、これらの数字は、平成 28 年 3 月国土交通省 土地・建設産業局 企画課発行の、「平成 27 年度 土地所有・利用概況 調査報告書」から拾い出したことを添えておく。

いきなり数字の羅列から始まったが、僕はここで憤慨した勢いで、著作「地主の学校」を生み出した。
今日は、その顛末を解り易く説明したい。
そこには、「数字そのものに対する驚きが生み出した憤り」があるのはもちろんのことだが、「数字の意味に無頓着で鈍感な人たちへの憤り」の方がはるかに大きい。
いやむしろ、後者の憤りを人々に伝えたいからこそ、僕は本を書いたのだと思う。
案の定、本の売れ行きは伸び悩み、人々の無関心は実証された。
だからこそ、なおさら僕の憤りは膨らみ続ける。
今日僕が伝えたいのは、本に書いた「前者の憤り」でなく、書かなかった「後者の憤り」であり、今日はそれを書いてみようと思う。

まず、「自分の原点は、会社倒産という失敗経験」と言う僕の口癖について。
1999年にメインバンクが破たんして、自分の会社に連鎖倒産の危機が迫った時、僕はカミさんに電話して「悪いけど会社が潰れそうなので、会社の潰し方とか、会社倒産の解説本を探してくれ!」と頼んだのが忘れられない。
数時間後にカミさんから電話がかかり「会社を潰さない本ならあるけど、潰し方の本は見当たらないよ」との返事だった。
この時僕の頭をよぎったのは、「なぜ少数の成功者に関する情報があるのに、大多数の失敗者に関する情報が見当たらないのか?」という疑問だった。
会社を潰さずに経営できる人はほんの一握りなのに対し、失敗し潰してしまう人が大勢いるのは明らかだ。
だが、同時に気付いたのは、「たとえ潰れても潰さずに済ませたかった」という人が大多数で、「潰したくはないがどうせ潰れるなら少しでもましな潰し方をしたい」と考えた僕が、極めて少数だということだ。
そこで僕は「みんなに相談しながらベストな潰れ方を模索しよう」と決断できた。

つまり、僕の気付きは「より多くの人がやるべき誰もやっていないこと」の存在だ。
多くの人が抱えている問題を解決できずにいるのは、その解決策を誰もやろうとしていないから。
必要なのに誰もやろうとしないこと…という「なのにの発想」は、ここから生まれた。
この時から僕は、何事も「全体の数字を把握すること」にこだわり始めた。
例えば「全国の空き家件数800万戸」と聞くと、統計局にその計算方法を問い合わせる。
「全国で無作為抽出した300万世帯を調査して、そこから全体数を算出しています」という答えを聞いて、「全数把握でなく推計なんですね?」と問いただす。
これをきっかけに、他国の空き家数データを調べると、イギリスやドイツでは行政が全数把握していることが分かり、欧米の行政にはこうした住宅供給を管轄する部署があるのに日本には存在しないこと、そしてそもそも日本では、建設に必要なのは許可でなく確認であり、空き家の増加を食い止める仕組みなど夢にも存在しないことが判明した。

先ほどの日本国土所有者についても、その他=不明が16%以上などあり得ない。
恐らく、昔の検地逃れや縄伸びの名残だとは思われるが、それに気づいても大多数の人が黙秘黙認しているはずだ。
国民一人当たりの土地面積が少なく見積もっても433坪もあるのなら、もっと広々と使えるはずだし使うべきだ。
もちろんこれは平均値であり、ほとんどの所有者が数十坪程度所有できているにすぎない。
だがそれは同時に、ごく一握りの少数者が広大な土地を所有していることを意味している上に、その多くは放置され荒廃が進んでいる。
僕が、他人の土地にも口出しし続けるのは、他人事と思えないどころか、自分の怠慢という自責の念によるものだ。
都会の狭い土地にしがみつくのでなく、広々とした自然と折り合いを付けながら生きて行ける人は確かに少数かも知れないが、そうなりたいと願う人は大勢いるに違いない。
一見少数でも、本当は大多数…僕はそんな人たちが目覚める日が楽しみだ。