戦争が始まった。
それは小競り合いの発展でも、偶発的衝突でもなく、周到に計画準備された確信犯だった。
イランの最高指導者ハメネイ氏の自宅空爆による殺害は、パキスタンにおけるアルカイダのビンラディン殺害の時を想起させ、911の悪夢までがよみがえる。
だが今回は、第3国に潜伏するテロリストではなく、少なくとも一国の国家元首たる人の殺害だ。
いくらトランプでも、ノーベル平和賞は俺のものと豪語したいなら、こんな暴挙はあり得ないと思うのだが、一方でイラン国民の反応も様々だ。
かなり乱暴に分類すると、3分の1がハメネイ氏の死を悼み、3分の2が歓喜しているようだが、喚起する人たちの半分が攻撃を歓迎するが、残りの半分は他国の干渉は許せないと言う。
すでにイラン軍の反撃も始まって、中東各地に戦火は拡大しているが、この出来事に接した僕自身の受け取り方も、この3つに分かれてしまい、今頭の中で3者の論争が始まろうとしている。
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そこで今日は、この脳内論争を手短に実況中継しようと思う。
まずは、イラン国民の立場に身を置くと、僕は3つのどれにあてはまるだろうと考えた。
ハメネイ氏のことはあまりよく知らないのでピンと来ないし、政権に対するイラン国民の不満もよく分からないが、最後のイスラエル軍の空爆で殺されたことだけは、絶対におかしいと思う。
だが、これではイラン国民の立場になったと言うにはほど遠いので、これが日本で起きたとしたら、つまり自分の国をイランに見立てて考えてみよう。
すると、日本におけるハメネイ氏は誰なのか、日本における国民の苦しみは何なのかを考えることになり、様々な仮説が見えてくる。
殺害されたリーダーに、安倍元首相を当てはめるなら、殺害は許せないけど犯人の苦しみから生まれた憎悪や衝動もある程度理解できる。
つまり、イラン国民の中にはハメネイ氏を憎む人だけでなく尊敬する人たちもいただろうと推察される。
先ほど僕は、分からないと言ってはみたが、たとえ分かったとしてもそれは一個人の意見であり、違う意見を持つことを否定はできないだろう。
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次に、許せない戦争行為を行う当事者たちの言い分を考えてみよう。
まず、先制攻撃したイスラエルとアメリカは、もちろんハメネイ体制の崩壊を目論んでおり、これを歓迎するイラン国民の支持をもって自分を正当化している。
一方、即座に反撃を始めたイラン軍は、ハメネイ体制の維持を目指して戦っており、ハメネイの死を悼む人たちの支持を後ろ盾にしている。
両者の対立はすでに激化していて、抗議デモにおける死者数はすでに3,000人を超えていたので、昨日の死者200人はこれに比べれば少ないのかもしれないが、こうして数字に麻痺していくのも、ガザやウクライナなどを想起してしまう。
おっと、ガザと言えばイスラエルはまさに大虐殺の当事者でありながら、今回平気で正義の味方ヅラしている訳だ。
戦争において、どちらかを支持したり憎んだりすることそのものが、すでに戦争に加担して一報を利する結果を招いている。
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考えてみれば、先ほどイラン国民の受け止めを3分類したが、そもそも現体制を国民自身と外国のどちらが倒すのかという問題は、現体制を倒すべきかという議論と別次元のはず。
ハメネイ氏が事故や病気で死んだなら、こんな問題にはならないはず。
これが殺害されたことが問題で、それが正義のためと主張されることこそが問題の核心だ。
アメリカやイスラエルは、迫害されるイラン国民を救うため、もしくは頼まれたためと言うだろうし、反撃するイラン軍はその報復あるいは自衛のためと言うだろう。
現に、イランのペゼシュキアン大統領は、イランは報復を「正当な権利かつ義務」とみなしているとする声明を出している。
どうやら、この「報復(あるいは復讐)」こそが、戦争の始まりかも知れない。
はじめの暴力が「悪」で、それに対する報復は「善」という論理が、「相手が悪だから善」を生み出してきた。
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戦争が始まった。
我々は、まさに戦争が始まる瞬間を目撃した。
一旦始まった戦争は、ウクライナが、ガザが終わらないように、いつまで続くかわからない。
戦争の継続など誰一人望んでいないはずなのに、これほど終わらないと言うことは、戦争を終わらせることがいかに難しいかを物語っている。
ならば今、我々がやるべきことは、「戦争を始めないこと」しかないだろう。
確かに日本は、世界で唯一憲法に「戦争放棄」を掲げているが、それは具体的に「何をしないこと」なのかを考えなければいけないと僕は思う。
いつもいつも思い続けていたところに、始まった戦争を見て、僕は「報復」こそがその引き金だと確信した。
やられたらやり返す反骨精神は必要だが、それは常に良い方向を向くべきであり、自分に良かった・嬉しかった・楽しかったことこそを倍返しすべきであって、痛みや苦しみや悲しみを返してはいけないと思う。
戦争放棄を体現するために、僕は常に「良い仕返し」を考えたい。
戦争を辞めるのが難しいなら、戦争を始めることをもっと難しくしたいと思う。