何でも同窓会?

先日、見覚えのない女性から喪中はがきを受け取った。
読んでみると、友人のKMさんの訃報を知らせる妹さんからの便りだった。
同年齢の友人が亡くなるのは初めてではないけれど、面識のないお身内から喪中はがきで受け取るのは初めての経験だった。
彼からは今年も年賀状を貰っていたので、この喪中はがきは年賀状の送付先に送られたのだろう。
独身独居であったろう彼の最期をイメージするには、あまりにも材料不足でおぼつかないが、やはり何かをせずにはいたたまれなくなって、ようやく妹さんへの礼状を書き終えた。
たとえ喪中はがきであろうとも、彼の最期を知ることで、生前の彼を思い出す機会を得たことが、本当にうれしかったと伝えたかった。
そして同時に、こんな思いはコリゴリで、誰であろうとも生きて別れを告げたくなった。

そんな折、ふと92歳になる母のことを思い出した。
一昨年8月の90歳祝いでは、3泊4日で花火や祭りを巡るドライブ旅行に連れまわし、車いす併用ながら元気に行けたのに、今年はめっきり衰えて、ほぼ寝たきり状態になってしまった。
火木土は世田谷方面に仕事を集め、母の住む妹の家(日楽庵)での作業時間を作って見守りの真似事に充てている。
介護や看護の手伝いなどとてもできてはいないけど、頻繁に訊ねることで母の具合を共有し、少しは妹の相談相手になれる気がする。

8人兄弟の3女の母には、3男の弟と5女の妹が残っていて、時々見舞いに来てくれる。
先日5女の叔母に会った時、「拓也ちゃんはいとこの・・ちゃんがどうしてるか知ってる?」と聞かれたので、「・・おじさんのお葬式で会ったきりですね」と答えながらふと気づいた。
いとこや親戚は、歳を取ると「葬式で”久しぶり”と言い合う仲」になってしまう運命なのかと。
いや待てよ、それは親戚だけでなく、年賀状のやり取り関係も同じなのではないだろうか。
喪中はがきが届くのは、明らかに年賀はがきの延長というか、喪中はがきこそが年賀状関係の結末だ。
コロナ以降、誰もが家族葬を選ぶようになったため、そもそも葬儀の案内が激減しているが、かつて訃報の宛先と言えば年賀状名簿に決まっていた。
人間同士の交友関係には、死という明白な終点があったはずなのに、SNSへの移行によって死者のアカウントは生き続け、自然消滅的行方不明(フェイドアウト)が一般化している。
そこで僕は、そんな現実を受け入れたくないと強く思い、母方のいとこたちに次の便りを発信した。

いとこの皆さんへ。
大変ご無沙汰しております松村拓也(〇〇の長男)です。
△△おばさんからこのメアドを教えていただきました。
思えば、いとこの皆様とは、親世代の葬儀で「お久しぶり」と声を掛け合いながら、ともに老いていく仲になってしまい、寂しく思っておりました。
そんな中、私たちの親世代の〇〇・□□・△△のお三方が、来る1月3日の13-15時頃、世田谷の〇〇宅に集まります。
私の思いをお伝えしたところ、この際皆様に声をおかけして、「☆☆会」としてお誘いしようということになりました。
もしご都合がつきましたら、是非ともお越しいただきたいのですが、ご無理であれば、連絡先の交換だけでもさせていただければ幸甚です。
そして今後は、□□さん△△さんの順に回り持ちで、「☆☆会」を続ける所存です。
葬儀でなく、生きて再会する機会を大切にしたいと思います。
なお、このお誘いは、☆☆家の三女〇〇、三男□□、五女△△とその子供たちまでと致しますが、ご家族の同伴も大歓迎です。
それでは、改めまして、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

メールやLINE、電話も駆使して連絡を取ったところ、15人中7人から出席の返事が届き、中には50年ぶり以上のいとこもいる。
これまで幾度か有った葬儀でさえ会えなかったいとこからの連絡に、僕はもちろんのこと母や叔父叔母も大いに喜んでくれた。
僕が強調したいのは、これは決して生前葬では無く、家族や親戚が生きて集う「同窓会」ということだ。
これは、かつて通った学校や職場はもちろんのこと、自分が誘ったり誘われたりした様々なコミュニティとて同じこと。
この年の瀬に、新たな欲がむくむくと湧き上がるのを感じてしまう。
そうだ、別れを惜しむ葬式でなく、生きて再会する同窓会をやりまくろう。