地域と格差

まつむら塾B実現学の3地域編「1地域と市場」、「2地域と資源」と取り上げたので、こうなったら最後までお付き合いいただこう。
実現学とは、「自分」の中にある「夢」を、「世界」の中で「現実」にするチャレンジのこと。
僕はこの行為を「ビジネス」と呼び、チャレンジを「起業」と呼んでいる。
また「地域」とは「世界の中で自分が関わる部分」を指し、1市場、2資源、3格差、4情報と地域の関係を考察した後に、地域と世界の関係を考える。
前回までのブログで「市場=売り&買い」そして「資源=存否&要否」と考察を進めてきたので、今日は「格差=A&B」の答え探しに挑んでみたい。
「格差」という言葉には様々な意味があるが、僕が伝えたい意味をAとBを使って表現したい。

辞書によると、【格差(かくさ)】とは「同類のものの間における、程度(水準・資格・等級・価格・格付け、レベル)などの差や違い」とされているが、貧富の差(経済格差)など社会問題としての意味合いを込めても用いられる語であることは興味深い。
なぜなら、「差や違い」の存在を示す「多様性」という言葉が「守るべき価値観」的に使われる現状からみても、「差や違い」そのものの是非が問われていることは間違いない。
そこであえて、「差や違い」の「良い面を多様性」、「悪い面を格差」と呼ぶと仮定して、少し議論を進めてみたい。

「多様性」が示す「差や違い」の正当性は、それらが必然的に存在することだ。
確かに、我々の存在そのものが唯一無二の「特異点」なのだから、何の差も違いも無い均質な世界は「無」に等しい。
したがって、「差や違い」の存在そのものを否定することは、自分自身の存在をも否定することとなるはずだ。
こうして「多様性」を否定することはできなくなるが、なぜか「格差」は解消が求められる。
まず言えることは、「格差」は「解消可能」ということで「多様性」と異なることになる。
考えてみれば、「多様性の尊重」とは、「多様性に基づく格差の排除」と言い換えることもできそうだ。
つまり、「多様性」が「必然的に存在する差や違い」なのに対し、「格差」を「多様性に起因する差や違い」と考えたいと思い至った。
だとするとなぜ、社会は「格差の解消」に苦労しなければならないのか。
それは、格差を維持し守ろうとする力が働いているからではないだろうか。

「格差」の「差」は、ちがいやへだたりを示す言葉だとすぐに理解できるが、「格」という言葉は次のような様々な意味を持つ。
① おきて。きまり。のり。「格式」「規格」「別格」
② おもむき。ようす。ねうち。身分。「格調」「資格」「品格」
③ いたる。いたす。きわめる。また、ただす。
④ 線を方形に組み合わせたもの。また、ほねぐみ。「格子」「骨格」
⑤ うつ。なぐる。「格殺」「格闘」
⑥ はばむ。そむく。くいちがう。「扞格(カンカク)」
⑦ 文中の語の他の語に対する文法的関係。「主格」
なるほど、こうして様々な「格の意味」を眺めると、高貴で保守的な存在のイメージが浮かび上がってくる。
「格差」とは、「格」を持つ人々によって生み出され、維持拡大されているのではないか。
あるいはその逆に、「格差」を生み育てる人々や行為のことを「格」と呼ぶのかもしれない。

ここまでの議論を踏まえた上で、そろそろ出したい結論は、「格差=A&B」のABの特定だ。
思いついたのは「損と得」あるいは「有利と不利」のような反対語だ。
例えば、身分制度は「格式や資格」など様々な格を組み合わせ作った「人々を管理する仕組み」で、報酬や権力、名誉などの格差が組み込まれている。
身分上下の固定化や、格差の拡大に不満を感じても、秩序や安定など身分制度がもたらすメリットの方がまさっていれば、格差は問題化しない。
つまり、「損得」の差を相殺するのでなく、「損を減らして得を増やす」ことが「格差の解消」を意味している。
だが、このようにデメリットを排除せずメリットばかりを上乗せするやり方は、バラマキ方式とも揶揄される。
かつての部落差別や、アメリカの先住民対策における「差別解消のための特別な優遇措置」は、逆差別として悪名高い。

また、格差の解消には、「差」をなくす以外に「格」を無くす方法もあるはずだ。
平等とか公平は、「格差の格」を排除することを意味しているように思える。
平等は差別の解消で、公平は贔屓の排除かな。
だとすると、「格差」の本質は「差別と贔屓」に関係するのだろうか。
例えば、男女雇用機会均等とは、雇用関係に内在する様々な格差の内、男女の格差だけを排除することだ。
つまり、格差には様々あって、排除すべき格差とそうでない格差が混在する。
乱暴に言えば、「格差=良い格差&悪い格差」の方が、格差を的確に表すのか。
だが、考えてみれば先ほどの「得&損」や「有利&不利」は、「良い&悪い」と同類だ。
むしろ、「格差には善&悪が存在する」という結論に達したのだと、僕は気が付いた。

今日の議論はここまでで、これから僕はまつむら塾のレジュメ作りに取り掛かる。
この続きこそが、まつむら塾の実現学だ。
なので、次回の話題は「地域と情報」に決定だ。
引き続きお付き合いの程、どうぞよろしく。