感動の作り方

まつむら塾の実現学では、「感動」をコミュニケーションのゴールに位置付けている。
人が感じ考え行動する循環において、コミュニケーションとは、自分の考えを話や身振りなどの行動で発信し、相手がそれを見聞きして感じることで受信した情報を理解する(考える)ことで返信することだ。
もしも商品を買って欲しければ、相手に商品を買いたいと考えさせなければならないはず。
だが、相手は感じることで受信するので、何かを感じることで買うという行動を誘発させる必要が有る。
僕はこの「感じて行動するプロセス」を「感動」と位置付けた。
だが、感じたことを思考するだけで、僕たちは本当に行動するだろうか。
行動を起こすには、損得や善悪などの判断は欠かせないが、それが行動を起こす起爆剤になるとは思えない。
そこで、改めて僕は、感動について再考してみることにした。

辞書を引くと、感動とは・・・
① 強い感銘を受けて深く心を動かすこと。
② 人の心を動かしてある感情を催させること。
③ 他からの刺激に反応すること。作用を受けて動くこと。
と、3つの説明がなされている。
「①深く心を動かす」とは、深く(強く)感じる(受信する)ことを指すだろう。
「③刺激に反応、動くこと」とは、まさに感じることが行動を誘発することを指すだろう。
だが、「②心を動かして感情を催す」とは、明らかに新たなルートを示している。
つまり、「思考」とは異なる「感情」という新たな概念が、「感じる」と「行動」を繋いでいる。

「感情(かんじょう)」とは、ヒトなどの動物がものごとや対象に対して抱く「気持ち」のことで、喜怒哀楽に代表される・・・とのこと。
つまり、先ほどの②の説明は、「感動とは、人の心を動かして喜怒哀楽などの感情を催させること。」と読み替えられる。
これは、僕にとって由々しき問題だが、冷静に考えてみれば十分に合点がいく話だ。
行動を継続するには思考は欠かせないが、行動を起こすトリガーとしての感情の役割は見逃すわけにはいかない。
そもそも「気持ち」とは何なのか。
喜びや怒りなどの「感情(気もち)」は、寒さや痛みなどの「感覚(感じる))とは異なるものだ。
「情(なさけ)」には、思考部分が感じられるし、「情報」が「情けに報いる」であることも意味深い。

そこで、今度は「感情」についてさらに調べてみると、様々な分類の中に「プルチックの感情の輪」を見つけた。
これは、1980年に心理学者のロバート・プルチックが提示した考え方で、対義関係にある4組8つの基本感情に、強弱の派生感情を加えたもの。
基本感情:強い感情>弱い感情⇔反対の弱い感情<反対の強い感情:反対の基本感情・・・を判例とすれば、
1.喜び(Joy):恍惚(Ecstasy)>平穏(Serenity) ⇔憂い(Pensiveness)<悲痛(Grief):悲しみ(Sadness)
2.期待(Anticipation):警戒(Vigilance)>興味(Interest) ⇔動揺(Distraction)<驚嘆(Amazement):驚き(Surprise)
3.怒り(Anger):激怒(Rage)>煩さ(Annoyance)⇔心配(Apprehension)<恐怖(Terror):恐れ(Fear)
4.嫌悪(Disgust):憎悪(Loathing)>退屈(Boredom)⇔容認(Acceptance)<感嘆(Admiration):信頼(Trust)
こうしてながめると、むしろ「行動の引き金となる思考」と言い換えても良いようにさえ思える。

さて、話を「感動」に戻そう。
感じる→考える→行動する→感じる→・・・のサイクルについて、疑問は無い。
だが、「考える」には、少なくとも二つ以上のルートがあり、その一つが「感情(気もち)」だというのが今日の気付きだ。
ちなみに、「感情」の反対は「感情的⇔理性的」から類推して「理性」だと僕は思う。
したがって、「感動=感じると行動をつなぐもの」だとすれば、それは「感情と理性」に分類できるのかもしれない。
さあ大変だ。
まつむら塾の実現学・交流編第5回「感動の作り方」は、大至急作り直すことにしよう。