問いと答え

の9回目の講義は「伝達の確認」というタイトルで、自分の意図を伝達できたかどうかは、確認しないと判らないという話。
だからこそ、コミュニケーションは欠かせない・・・という意味で、僕の大好きなテーマでもある。
だが、まず初めに「伝達とは何か」が分からなければ、その確認などおぼつかない。
伝達とは「自分の意図を相手に伝えること」と言うが、そもそも「伝える」とは何だろう。。
「伝える」という言葉には、「1.何かをあるものを経て届ける」と、「2.何かを受け継いで残す、次代に渡す」という2つの意味がある。
継続にこだわる僕にとって、「伝えられた人」が自らも「伝える人」になることを示す後者の意味は、極めて興味深いが、前者の意味には重大な疑問を感じる。
「あるものを経て」とは何なのか。

もちろん「あるもの」とは、「媒体(メディア)」のことを指す。
人間が外部情報を目や耳などの感覚器官で受信する以上、光や音などの媒体が欠かせない。
以心伝心(いしんでんしん)という概念はあるものの、日常のコミュニケーションでは不可能だ。
だとすると、後者の伝承的な意味は「人を媒体にして伝えること」を指すのであり、「媒体を介した間接行為」であることこそが「伝える」の本質だと思う。
それでは一体、「伝える」は何を目指すのか。
何かを感じてくれさえすればいいという消極的な行為だけではなく、自分の思いや考えを、共感や理解して欲しいと望むこともあるはずだ。

だが、それを直接でなく、媒体を介して伝えているのが現実だ。
つまり、思いや考えを、言葉や声、表情などの媒体に乗せて届けているに過ぎない。
もちろん、これに対し相手は返事をしてくれるだけでなく、表情や身振りなど様々な媒体を駆使して反応してくれる。
こうした相手の返事や反応から、何が届いたかを判断し、その不足を補ったり、間違いを修正するのがコミュニケーションだ。
伝える側と伝えられる側の双方を体験することによって、伝わるのか伝わらないのかという表現を学んでいくことにもなる。
自分が相手の身になることを学ぶことで、相手にも自分の身になってもらうという伝達の実現に少しでも近づくことこそが、コミュニケーションの醍醐味だと僕は思う。

でもこれでは、こちらの思いや考えが相手に伝わったのかどうかは、どこまで行っても憶測の域を出ない。
だったら、伝わったかどうかを直接尋ねて確認すればいいじゃないか・・・と言うのが今日の本題だ。
「伝達の確認」とは、まさにこのことを指していて、ここからは「確認」についての議論になる。
「確認」とは「確かに認めること」であり、この場合は「答え合わせ」に近いと思う。
つまり、自分が伝えたいことを答えとして、相手の答えが自分の答えと一致するかどうかを確かめることだ。
だとすると、相手に答えそのものを伝え、まずは復唱できるように暗記してもらうのが手っ取り早い。
その上で、答えに対する共感や賛同、理解や納得、そして協力や参加の可否を尋ねればいいはずだ。
だがここで、重要な問題があることを忘れてはならない。
果たして自分は、本当の答えを相手に伝えられているのか。
このことは、相手が答えを復唱した時に、自分が判断しなければならない。
たとえ相手が正確に復唱できていても、それを聞いた自分が違和感を感じるようであれば、それは答えでないかもしれないからだ。

だがここで、別の見方があることに僕は気が付いた。
もしも相手の答えを聞いて違和感を感じなければ、それこそが本当の答えかもしれない。
それがたとえ、自分が伝えたはずの答えと違っていても、聞いて正しいと感じる方が、正しく思えてきた。
つまり、相手が正しく答えてくれる問いかけこそが、確認の目的なのかもしれない。
さらに言えば、対話する両者にとって、常に自分は問う側であると同時に答える側だ。
ならば、上記の確認作業は、常に両者が相互に行うことで、まさに一石二鳥の両得だ。
自分の答えを探すなら、まず答えと思われるものを相手に伝え、相手の反応の中からヒントを探そう。
対話や議論は、自分を自身で中から見ると同時に相手に外から見てもらう行為とも言える。
互いに相手を利用して、自分を知ることができることこそ、コミュニケーションによる確認作業の醍醐味だ。