今までと今から

先日まつむら塾で「今(いま)」の話をした。
今とは時間のことで、when(いつ)の答えに相当する。
「このタメになる講座いつ受けるか?、今でしょ!」の今を指す。
僕たちにとって時間とは、今しかないのが現実だ。
だが、記憶の中には過去があり、想像の中には未来もある。
そして、どちらもそれを今と思うことで、僕らはそこに行った気になれる。
過去は「今まで」、そして未来は「今から」として明らかに存在する。
と、、、こんな調子で面白い話をしたかったのだが、なぜか話は空回りして、しどろもどろになってしまった。
今日は次回の講義に備え、この場を借りて頭の整理を試みたい。

まず、現在・過去・未来という言葉があるが、僕はこの分類になじめない。
先ほど述べたとおり、現在には「過去を含む今まで」と「未来を含む今から」の2面が有り、過去や未来を現在と切り離すことはできないと僕は考える。
「今を生きる」が、「過去や未来を一切考えない生き方」だとしたら、そんなの不可能だ。
そもそも「今」とは、「特定の現在」でなく「時間的な自分の居場所」のことを指す。
僕たち人間は、「これ」という一人称を用いることでどこにでも身を置くことができるので、当時者本人には「これまで、これから」、その相手には「それまで、それから」がそれぞれの「過去・未来」に相当する。
したがって、多くの人が様々な時に身を置いて過去や未来ばかりを眺めており、そうした人に対する戒めの言葉が「今を生きよ」なのだと僕は思う。

さて、過去と未来は順番の問題で、過去が先(まで)で未来が後(から)なのは明らかなのだが、「明日まで」は過去か、「昨日から」は未来だろうか。
「明日まで」とは「今から明日まで」のことなら未来だし、「昨日から」は「昨日から今まで」のことなら過去になる。
だが、それはあくまで今を基準とした「今からと今まで」のことであり、明日を基準にした「明日までと明日から」では、「明日まで」は過去だと考えるべきだ。
もしも時間軸(歴史ともいう)を想定して過去や未来を論じるなら、まずは自分の居場所を決めるべき。
そして、その時間的居場所より以前のことなら過去であり、それ以後が未来となる。
これを怠ったために、先日のまつむら塾は「私は嘘つきである」的なパラドックスに陥ってしまったようだ。(説明は別の機会に)。
ここでの話は、宇宙全般のことでなく、あくまで僕やあなたのこと。
自分の居場所を想定せずに世界の話をするのは絶対にやめた方がいい。

次に、過去は増加し未来は減少するという事実。
先ほどの気付きから、ここで扱う時間とは自分に与えられた時間を指す。
なので、80年程度生きるであろう僕に取り、与えられた時間は80年程度ということになる。
誕生から死亡まで、僕の今は80年間を動いていく。
誕生時に80年有った未来は、日々刻々と現実化し経験しながら過去になり、その分残された未来が減少する。
もちろん未来は未知なので、残存未来は不明だが、増加で無く減少していることだけは明らかだ。
もしも自分の夢の実現まで、残された未来が足りなければ、誰かにその実現を託す必要が有る。
僕が継続や承継にこだわるのはそのためだ。
僕に残された時間はごくわずかかも知れないので、承継は一刻を争う急務となる。

そして最後に、過去と未来の最大の違いは、過去はすでに現実化し、未来はまだしていないこと。
正確に言うと、過去は「現実世界」に存在し、未来は「頭の中」に存在するので、過去に比べて未来は極めて個別なものとなる。
1999年8月、僕は会社の倒産を経験し、2つのことを学んだ。
1つは、倒産(破たん)はあくまで自己申告だということ。
もう一つは、どうせ潰れるならもっと早く、少しでも被害が小さいうちに潰せばよかったということだ。
そして今、いやむしろ僕が学んだ当時から、僕よりずっと重症な破綻者がいる。
それは我が国・日本国、来年度予算は過去最大の112兆円で、その3割が国債の返済と利払いに充てられる。
ここでは説明しないが、この問題の解決ビジョンを僕は聞いたことがない。
僕に見えるのは、破綻を申告できない先送り社会が、やがて「もっと早く破たんすればよかった」と後悔する未来だ。
多くの人はこれを聞いても、「じゃあどうすれば良いのか」とか「あなたはどうする」というばかり。

だが僕は、分かって欲しいわけではない。
この未来に興味を持ち、まずは共有して欲しい。
同じ地点を今にして、そこから見える過去と未来、理由と目的、原因と結果、そして問題と答えを、共に考えて欲しい。
僕が承継したいのは、その答えでなく問題だ。
何も考えずに済むように答えを教えるのでなく、共に考えて欲しいから問いに対する答えの例を示すだけ。
まつむら塾は、そんなプロジェクト。
来年はもっと急ぎたいと思う。