目的と理由

目的とは夢や願いのこと。
目的の実現とは、夢を現実にしたり願いを叶えることだ。
だがそのためには、夢のような現実を作る前に「実現可能な具体的な夢」を自分自身の頭の中で作り出さなければならない。
そこで僕は、まつむら塾・実現学を開催し、自分の中に世界を作り出す方法を探求している。
① 実現 = 自分+世界

「目的のために手段は選ばない」とは、「目的を実現するためなら、制約なしに最適の手段を選ぶ」ことを意味している。
だが、「目的」を実現できそうな手段が複数あっても、それを目的によって絞り込むことは難しい。
最適な手段を絞り込むにはそのための理由が必要だが、未経験の手段にはそれを選ぶ理由(経験)が無い。
結局のところ、いくつかを試した結果、有効な手段を選ぶ理由が見いだされ、次のように表記できるようになる。
② 理由 ⇒ 手段 ⇒ 目的

一方、目的を実現するための手段とは、目的実現のために実施される方法のこと。
目的の実現が自分自身だけで完結するのなら、手段もまた自分一人の行為だけで完結できようが、目的が少しでも自分以外の世界を巻き込むのであれば、その実現には自分以外を動かす現象を伴う必要が有る。
これをあえて式にすると、次のようになる。
③ 手段 = 行為+現象

現象とは、原因が結果を生むプロセスを指す言葉だが、両者の関係は因果関係とも呼ばれ「原因⇒結果」とあらわせるので、現象は次のように表記できる。
④ 原因 ⇒ 現象 ⇒ 結果

②と④は、①の内容をよく表している。
つまり、「実現」が「自分と世界」の双方で同時進行するということは、「手段」という方法が「行為と現象」の両面で進行することを意味している。
だとすれば、②の手段は行為と読み替えて、
⑤ 理由 ⇒ 行為 ⇒ 目的
としても良いかも知れない。
つまり、「理由と目的(why)」は、夢や願いの内の「自分の思い」を指している。

とまあ、ここまでお読みいただきご苦労様。
実はこの理屈で、僕は「目的と理由」の違いを解明できた。
僕はこれまで、「why」を「目的」、「how」を「方法」と捉え、両者をつなぐ「what」を「手段」と捉えていたが、「whyなぜ」の答えには、「何のため(目的)」と「なぜなら(理由)」の2つがあり、苦し紛れに「whyの未来と過去」とこじつけてきた。②
ところが先日、「目的」と「理由」の違いに関する明確な答えに出会ってしまい、実現学を大幅に修正せざるを得なくなった。
「なぜあなたは英語を話せるようになりたいのですか?」
という問いに対する下記の答えの内、どれが目的で、どれが理由だろう。
A「かっこいいから」
B「イギリス人の彼女とたくさん話せるようになりたいから」
C「通訳を仕事にしたいから」
D「お父さんに、英語を勉強しろと言われたから」
E「多くの世界を知るため」
目的と理由の区別は簡単で、能動文にした時の主語が私なら「目的(BCE)」で、それ以外なら「理由(AD)」となる。

これまで僕は、目的を未来のwhy、理由を過去のwhyと区別してきたのだが、これはどうやら間違っていたようだ。
いや正確に言えば、この区別は正しいが、「未来と過去の解釈」が間違っていたと今気が付いた。
まだ誰も知らない未来は、自分の意思と願望だけで構成されているが、過去は世界の現実をすべて受け入れた容赦ない現実だ。
つまり、現在を挟んで対峙する「これからとこれまで」ではなく、濃密なすべての現実に対峙する未知で未達の空白だ。
目的が実現する時にだけ、その実現が理由となって新たな未来が開けていくはずだ。