日本語には、具体名詞と抽象名詞があるといわれるが、あなたはご存知か。
これは実体があるものを示す名詞と、概念的なものを示す名詞の区分のことで、日本人はこれを巧みに使い分けるという。
そもそも日本語の名詞には、ラテン系言語のような男性女性や単数複数の区別もなく、theのような冠詞も付かなければ語尾変化もなく、辞書にも単に「名詞」と表記されるだけ。
だか、実際には、漢字かなカナの使い分けに加え、固有名詞はさらに、一般・組織(会社など)・姓・名・外国人の名前などに細分している。
これほど複雑な体系を持つ名詞を一括りに扱う我ら日本人だからこそ、自身が使う言語の変化に鈍感なのは、無理からぬことかもしれない。
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「勇気をあげる」とか、「元気をもらう」など、抽象的なものがあたかもそこにあるような表現は、明らかに近年多用されるようになっており、僕はこの変化を「抽象名詞の具体名詞化」と呼びたい。
言葉は時代とともに変化するが、特に形容詞や形容動詞の変化が著しく、名詞の変化は緩やかだと考えられてきたようだ。
この問題に関しては、多数の議論があるようだが、僕が気になったのは次の点だ。
様々な事件や体験に合わせて、抽象名詞が具体名詞として使用されることによって直感的理解や共感は高まるかもしれないが、言葉の持つ抽象概念の理解は進むどころか置き去りにされ、思考の停止が危惧される。
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さて、僕がこの問題に気づいたのは名詞でなく、動詞の役割からだった。
以前にも書いた通り、「HELP」には「助ける」と「手伝う」の二つがあり、これを図示すると、登る人を上から引くのが「助ける」て、下から押すのが「手伝う」を意味する。
僕は言葉をこのように図示することが、「理解すること」だと説いた。
ところが最近セミナーを再開して、この話を進化させる中で、坂登りを崖から飛び降りる場面にすると、大変なことが起きた。
なんと、助けるは崖の上から引き上げるのままだが、手伝うは崖から突き落としてしまう。
つまり、自殺のHELPは、どちらの意味なのかと。
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僕がこの現象に注目したのは、その原因が思考停止と思われるから。
直感的な理解の積み重ねだけでは、大きな過ちを産みかねない。
ここで着目すべきはHELPが他動詞であり、相手がいないと意味を成さないこと。
助けるも手伝うも、相手のメリットや願いと強く関係することを忘れてはならない。
したがって、相手が坂を登りたいならそれを助けるのも手伝うのも同じ結果を目指している。
だが、相手が死にたいとか、悪事をしたいとなると、それをHELPすべきかどうか、相手との関係性が関与する。
戦争や災害時の人道的支援は、まさにこの葛藤を抱えるHELPだ。
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そこで僕はこうした動詞を具体的な行動でなく、抽象的な配慮や感情に基づく「抽象動詞」と名付けてみた。
そして、その用例を調べても見つからず、代わりに「抽象名詞」にたどり着いたというわけだ。
先ほど例示した「勇気をあげる」や「元気をもらう」の動詞部分に着目すると、「あける」と「もらう」はいずれも他動詞だし、「助ける」や「手伝う」と同様に具体動作は示していない。
自殺しようとする人を「手伝う」などと抽象動詞を使用せず、「安全な場所まで連れ戻す」と言えば良いことだ。
「勇気をあげる」や「元気をもらう」という言葉は、一見実感に満ちたわかりやすい表現だが、自分なりに咀嚼して再現はおろか、説明すらできない意味不明な呪文であることを!今日は確信した。