「所有論」を読んで

「地主」とは「土地所有者」のことなのに、「所有」という言葉を説明できずに困っている。
「所有」という言葉は江戸時代まで存在しておらず、「ownership(オーナーシップ)」の訳語として明治時代に生まれたことは、拙著:地主の学校ですでに述べた。
だが、「ownership」を構成する「owner」は「持主(名詞)」、「own」は「自分の(形容詞)」であって、これは所有の当事者を示す言葉に過ぎない。
一方、概念としての「所有」がどういう意味なのかを知りたくても、法律における「所有(所有権)」または文法における「所有 (言語学)」を参照せよ、、、と言われるばかり。
「所有権」については、「使用・収益・処分の自由」以上の説明は見当たらず、拙著においても言語学的な説明を参照したが、それではどこまで行っても私的見解から脱却できない。
そこで僕は、「地主」でなく、「所有」や「所有権」に関する参考文献を、真剣に探すことにした。

今回僕が知りたいことは、「所有」という概念の全体像や構造なので、「所有論」で図書館サイトを検索し、数冊の書籍に辿り着いた。
さらに、明治以降に使われ始めた日本国内の見解より、歴史の長い諸外国における考察の「訳本」から、「所有論」という書籍に絞り込み、ついに先週入手できた。
その本は「アンドリュー・リーヴ著【所有論】生越利招・竹下公視 訳」、原題は「property(プロパティ)」。
本の冒頭に著者の「謝辞」があり、その後に「日本語版への序文」、「凡例」、「目次」と続き、本文の内容は以下の通り。
第1章 序論
第2章 「所有」、「所有権」及び政治理論
第3章 所有の「歴史」について
第4章 所有、自由及び権力
第5章 所有と労働
第6章 所有と時間
第7章 結び
その後、「読書案内」、「文献目録」、「訳者あとがき」、「索引」で本は終わる。
まだ最初と最後を読んだだけで、第2章から第6章の本論はパラパラめくっただけだが、今日は、この本から得た気付きをいくつかご紹介したい。

まず、propertyの訳語として「所有」が用いられていることだ。
Propertyには様々な訳語があるが、共通する概念は「(人やモノが)所有しているモノやコト」で、抽象的にも使われるため、広い意味がある点で「オーナーシップの訳語」と大きく異なる。
その意味は次の3つに大別できる。
(1)人間がモノを所有・・・「財産」「所有物」「不動産」「土地や建物」などを指す。
(2)人間が無形のコトを所有・・・「所有(権)」、例えばintellectual property rightsを「知的財産権」または「知的所有権」と訳し、どちらも商標権・特許権・著作権などを含む上位概念となる。
(3) 人間ではなくモノが「所有」・・・その物質の「特性」「特質」「属性」「作用」と訳される。
ここで重要なのは、所有を担うのは人間だけではないことで、2つの物事相互の関係性を示していることだ。

次に、これらの議論を日本語に翻訳する過程で、原語と訳語がユニークに対応せず、臨機応変に使い分けていることだ。
したがって、訳者の挨拶や翻訳の判例を見ず、本文だけを読むならば、恐らく「property」の多義性を感じることなく「それなりの理解」に終わるだろう。
だが、これから読む本文に書かれていることは、まさにこの「多義性」を生んだ歴史や、それがもたらした影響に関する議論のはず。
「所有という概念の変質」と、「所有という言葉が指し示す概念の変遷」では、その意味は全く違うはず。
「所有」が行為やモノでなく、二者の関係性を示すなら、まず初めにそのこと自体を認識しなければ、議論は始まらないだろう。

この前提を明確にした上で、第2章から読み始めたら、著者の論点が面白いように理解でき、著者の気づきを共有できた。
例えばその一つとして、「所有権には責任が伴うが、財産権には責任が伴わない」と言う一節があった(P29)。
議論の内容については省略するが、これを法律家と経済学者の見地に例えるところが面白い。
経済学者は財産権の核心を「市場価値(譲渡可能性)」として、価値の交換や販売を問題視するが、法律家は所有権の核心を「情緒的な価値」として、安全性や安定性といった人間性を重視する。
ここで言う財産権はproperty right、所有権はownershipの翻訳だ。
つまり、2つの権利はそれぞれが「所有」という関係性の1面であり、所有権はその「市場価値以外」の価値を担う資源の有効活用に関する義務を伴うものだと定義している。

「所有」という言葉が生まれる前、日本ではこれを「私財」と呼んできた。
743年5月27日に「勅」として出された「墾田永年私財法」が、「新規で開拓した土地について、永久に所有を許可する」という法令として有名だが、我が国の土地所有はここから始まったのではない。
朝廷は723年に「三世一身法(さんぜいっしんのほう)」を制定し、新規開墾地の3世代私財化を認めていたが、そもそも大化の改新(645年)の翌年に、「公地公民制」「班田収授法(はんでんしゅうじゅほう)」「租庸調(そようちょう)の税制」を定めてすべての国土の国有地化を宣言している。
さらに言えば、それ以前から領地の取り合いは繰り返され、土地所有の起源は人類の誕生にまで遡るのかもしれない。
人類誕生以前から存在する土地を所有するということは、永く継承されてきたその権利を継承しているのに過ぎないはずだ。

僕は、「市場価値に基づく財産としての土地」を否定する気はないが、それは一過性の現象であり「過去から継承した土地の永続価値」とは関係ないと思う。
先ほど紹介した法律家の視点、つまり「土地の情緒的な価値」に関する「所有権」にこだわりたい。
ここでいう「情緒」とは、「社会(コミュニティ)に対する責任感」のこと。
土地を「無責任な財産」でなく、「責任を伴う資源」として社会のために活かすことを「所有」と定義したいと思う。