国づくりの自覚

僕は、現状の日本に不満を持つ人に対し、その不満が解消された国を自分で作ることを提唱している。
もしも日本を、その不満が解消された国に変えられるのならそうすればいいのだが、それができないあるいは難しければ、どんなに小さくても良いから自分でやれば良いという意味だ。
そして、その小さな実現を「小さな国」とすればいい。
活動開始から10年が経ち、自身も66歳になった今、僕は残りの人生をに捧げたい。
国づくり活動とは、決して僕の発明や実績ではなく、一つの気付きにすぎない。
これまでも現在も、多くの人が各所で取り組んでいるコミュニティづくり、地域活性化、まちづくりが該当する。

問題は、それらの取組が国づくりの自覚を持たず国づくりを目指していないことだ。
そんなことは当然だとあなたは考えるかもしれない。
そもそも「誰もが勝手に国づくりをすべき」という僕の発想の方が異常だと。
だが、まさに僕の気付きは「どうして私たちは自分で国を作ろうと思わなくなったのだろう」に他ならない。
1868年1月3日、京都御所の御学問所にて明治天皇より勅令「王政復古の大号令」が発せられ、江戸幕府に代わって新政府が成立した。
以来155年間、誰一人として新たな国を作った者はいない

当時この現象は、日本だけでなく世界の各所で起きていた。
大航海時代と産業革命を経た先進諸国が、世界の植民地化を競い合うようになり、国家は陣取り合戦の当事者になってしまった。
数と強さを競う列強諸国による支配から逃れるために、自らも列強となる道を選び、それを実現した。
やがて、2度の世界大戦を経て、覇権を争う帝国主義時代は終わり、平和共存を模索する時代が始まった。
性の時代が、ロシアや北朝鮮を排除できず、すらも内包している原因は、民主化の先送りが世界にまん延するせいだ。
そもそも民主社会とは、未実現の理想ではなく、ギリシャ時代から存在する人間社会の常識のはず。
民主とは、構成員(民)が主権を持つという意味で極めて多様であり、基本的に存続を求めるものの、その規模に関する規定はない。
僕は、国家を民主化するのでなく、民主的社会単位を国と呼び、誰もが国づくりを自覚し、目指すべきだと気が付いた。

また一方で、民主的社会単位は、単相構造ではない。
我々は日本の国民であると同時に、都道府県民や市町村民として地域社会に所属する。
地方自治は、地域の多様性に対応する制度のはずなのに、一票の格差など自治体間の格差が問題化するのは多様性に矛盾する。
そもそも自治体の業務合理化のために町村合併が繰り返されるのは、完全に多様性と背反する。
明治22年の町村大合併で7万以上の集落が1万2千に集約され、自治体数1800を下回る現状に至ったことを考えれば、日本の近代化は、地域独自性抹殺の歴史に等しい。
多様性の時代と言うならば、むしろ地域社会の分離独立が促進されるべきかもしれない。

さらに加えて、官民の2重構造も無駄だらけだ。
民間から生まれた社会福祉に関するビジネスは、次々と補助金事業化され、無理と無駄が進行する。
繰り返す災害復興や、禍への対応に巨額の公金がつぎ込まれるが、現場は疲弊し、資金は消えていく。
「社会を支えるビジネス」を、集中画一化すべき分野と分散多様化すべき分野に分け、前者は国家による合理化を促進し、後者は小さな国づくりを目指すべき。
つまり、後者のビジネスを担う事業者は、小さな国づくりを担っている自覚を持つべきだ。
ちなみに、ここで言う「社会を支えるビジネス」とは、「非営利ビジネス」のことを言う。
今後の僕は、全ての「非営利ビジネス」に対して、国づくり担い手の自覚を促していくつもりだ。

いろいろ飛び火してしまったが、今日言いたいことは「地域」を「国」と言い替えること。
地域は国の一部分だが、国は世界の一部分。
僕たちは、日本という国の一部分である前に、世界の一部分であると自覚しよう。
「国」を「地域が所属する全体」でなく「世界の中の地域」と捉えることで、「地域づくり」を「国づくり」に変換したい。
これこそが、実行可能な変化(革命)だと、僕は思う。