分断と両立

目的とは、成し遂げようとすることがら、行為の目指すところ。
ギリシャ語のτέλος( テロス)、英語のgoal(ゴール)にあたる。
目的は最終到達点で、目標は目的に辿り着くための通過点。
他人に目的を尋ねる時「何のために?」と問うことから、僕はこれを「なぜ(why)」と問う。
だが、「なぜそんな事をするのか?」という質問は、目的というより理由を尋ねているようにも思える。
そこで僕は、目的のことを「未来の理由」と言ったりもする。
目的のない行動は、真似か惰性か偶然だ。
自分の意思で行動するときの、その意思を「目的」と言う。
今日はこの「目的」について話したい。

ビジネスは、営利と非営利に大別できる。
両者の違いは名前の通り、営利を目的とするか否かということだが、それは「儲ける」ことでなく「儲けを配分する」ことだ。
トヨタという会社そのものは、株主に対する配当つまり営利を目的としているが、顧客に対して「配当のために車を作っています」などとは絶対に言わない。
多くの人が、明確な目的を持たずに生きているとしたら、目的が意外と語られないことに起因しているかもしれない。
むしろ、全てのビジネスが環境とか福祉とか「営利以外のこと」を目的化しているので、目的は「究極のきれいごと」になりつつある。
だが僕は、こうした「目的の形骸化」に違和感を越えて危機感すら感じている。

まず、ビジネスの定義をおさらいしよう。
ビジネスとは営利や非営利を問わず、また組織形態を問わず、その事業目的を実現するための活動の総体をいう。
したがって、ビジネスの主体者としては株式会社などのような営利企業だけでなく、NPOなどの非営利活動法人や住民サービス提供などを行う行政組織等を含み、個人または法人組織などの事業体がそれぞれの事業目的実現のために人・物・金・情報などの諸資源を活用して行う活動全体を意味する。
つまりビジネスは目的実現のためにじたばた忙しくすること(ビジーネス)と僕は説いた。
目的whyの実現のため、いつwhenどこでwhere誰がwhoどんな方法howで取り組むビジネスを何whatと呼ぶかを考えるセミナーを展開し、このブログもそこから生まれてきた。

話を営利と非営利の違いに戻そう。
営利の目的は「利益の配分」で、非営利はそれ以外つまり「利益を配分してはいけない」と定められている。
ビジネスは、目的の実現を目指して頑張ることだが、それは実現するとは限らない。
営利ビジネスは配当を目指すが、たとえ配当できなくても構わないし、多くの株式会社が配当などしていない。
ところが、「配当以外」を目指す非営利ビジネスは、配当が禁じられていて、目的以外を目指すことが目的を目指さないことを意味している。
これを営利ビジネスに当てはめるなら、営利ビジネスは「配当を目指さないこと」が禁じられていることになる。
これこそが僕が見つけた落とし穴だ。
営利ビジネスは、利益の配分を目指さなければならない、つまり利益の配分が望めないビジネスを禁じられているということだ。

営利と非営利のどちらが大切か、、、そんな議論をしたい訳では無い。
問題は、目的こそがすべてを決める前提条件であるということだ。
これは義務より厳しいし、その反対は絶対的な禁止事項となる。
目的を実現するのが方法なら、その是非は目的実現への適否となる。
富士登山を目指す人が小田急線に乗るのは正しいが、エベレストに登りたいなら羽田か成田に行くべきだ。
方法とは、実現のために行われるすべての行為(ビジネス)のことなので、それらの適否、正誤、善悪すべてが目的次第で決まってしまう。
紙に書いただけ、頭で考えただけ、心で思っただけの目的が、すべてを決めているなんて、あなたは自覚しているだろうか。

そんなに大切なことなら、なおさら決められないとあなたは思うかもしれない。
自分の最終到達点など、僕だって答えられない。
だが、先ほども述べたとおり、紙にも書かず、頭でも考えず、心で思うだけの目的を、誰が認めたり咎めたりできるだろう。
目的は確かに最終到達点かも知れないが、それを決められるのは自分自身だけ。
もし目的に違和感を感じたら、いつでも修正すれば良い。
重要なのは、行先を決めることで、行先を決めずに歩くこと自体が恐ろしい。
立ち止まり停滞する人々の多くが、行先を見失い、歩き出せずにいるのではないだろうか。

そこで僕は、「会社=営利、社会=非営利」と解釈を拡大する。
これはビジネスの表裏的関係で、表の顔がどちらかの違いに過ぎない。
むしろ「営利と非営利」の違いは、「自分の利益と自分を含むみんなの利益」と考えた方が良い。
ここで気を付けなければならないのは、「主体者である自分」が「個人または法人組織」の別に関係ないことだ。
人は所属する組織を代表するときと、自分個人とでは立場が違う。
組織に所属するトヨタの営業マンなら会社の利益、役所の職員なら市民の利益が目的だ。
家計を賄う個人としては収入を得ることが最優先だが、自身の幸福を求めるなら報酬以外の満足感かもしれない。
無人島で独り暮らしする以外、誰もが社会(みんな)と会社(自分たち)に所属する。
自分たちだけは滅びないように稼ぎたいが、周りのみんなを滅ぼして生き残る訳にはいかない。

営利とそれ以外(非営利)という分類は、どちらかを選ぶのでなく、むしろ両立を目指すべきだと僕は思う。
さらに言えば、会社と社会双方の利益、自分自身とみんな双方の幸福を目指すべきだと僕は思う。
これまで営利ばかり考えてきた人は非営利を、そしてその逆の人は逆を目指す必要が有る。
「最終目的」を一つにまとめようとするから、をやめられない。
世界を二つのまなざしで見て、二つの目的を持つことで、無目的の盲目状態から開眼したい。
そのために、「みんなをどうしたいか」と「自分をどうしたいか」の双方をいつも考えたい。