営利と非営利

いきなりで恐縮だが、今日の僕は「営利と非営利」について語りたいわけではない。
実は、何を伝えたいのかよく分からないのに、伝えるためには「営利と非営利」についての説明を避けて通れないことだけは確かな気がする。
もう少し正確に言うと、伝えたい何かをうまく説明できないが、「営利と非営利」について説明していけば、その先に僕の伝えたいことが出てくるような気がする。
そんなわけで、僕自身が何を伝えたいのかを探し明確にするために、今日は「なぞ解き」にお付き合いいただきたい。

まず、僕のイメージするあらすじから説明しよう。
「営利と非営利」とは、「営利であるか否か」つまり「営利に関する議論」のことだが、僕の本題はそこでなく、「非営利」に関する議論に思う。
なので、あくまで「非営利」について理解するために、「営利」との対比や比較を用いる必要が有ると考える。
そして、もしもあらゆる営みが営利と非営利に分類できるなら、それを実社会に適応できるはず。
次に、それらの営みを担う組織を「会社と社会」と位置付けて、「営利と非営利」分類に対応させたいと願っている。
図は、かつて「カンパニーとカントリー」と題したブログで紹介したもので、「社会と会社」と題した2011年の年賀状で使ったものだ。
https://nanoni.co.jp/20180826-2/
なるほど、僕が今日言いたかったことは、「会社=営利団体、社会=非営利団体」であり、「僕たちが双方の当事者である事」だと気が付いた。
そんな結論を意識しながら、今日の話を聞いて欲しい。

非営利団体の対義語として営利団体があり、この分類は、団体の目的を営利か非営利かで分類している。
ここでいう営利・非営利とは、利益=収益と読み替えて、団体が事業を通して得た収益を出資者である株主等に分配するか否かを意味しており、非営利団体は収益をあげてはいけないという認識は正しくない。
さらに非営利団体には、公益性をもつものと共益性を持つものの2種類があり、非営利かつ公益を目的とする団体を「公益・非営利」、非営利かつ共益を目的とする団体を「共益・非営利」と呼ぶ。
前者の組織例としては、社会的支援活動団体、学校・病院・介護施設・職業訓練施設・墓地等の運営団体などとされ、後者の組織例としては、 中間団体(同窓会、愛好会、事業者団体)などとされている。
だが、今日のところは「公益と共益」については論じたくない。
一般的に「公と共」の違いは「不特定多数と特定多数」の違いと言われるが、差別と区別だらけの社会に「不特定な公」など認められないし、その必要すら感じない。

そうか、だから今日の僕は、この区別に無関係の「営利と非営利」に着目したのだと、今気が付いた。
現代の日本社会における最大の勘違いは、「官と民が手分けして公と私を担っている」という認識だ。
官に属する人が私欲に走って腐敗する一方で、民に属する人の公的な奉仕によって支えられている社会に対し、多くの人が憤りを感じながらも手をこまねいている。
そもそも官民の区別と公私の区別は対応関係にないのに、これを混同していることが原因だ。
先ほどの「公と共」と同様に、「官と民」や「公と私」についても、議論の前提となる共通認識が不可欠だ。
なので、その作業は別に機会にし、今日は「営利と非営利」の区別を使って、社会の実態を語ってみたいと考えた。

話を戻そう。
そもそも人間は、繁殖と存続のために家族という団体を作った。
やがて、より楽に、より豊かになるために集約と分業による効率化を図る会社を作り、自分たちの利益を追求するようになった。
また同時に、周囲の人々を敵にせず味方(顧客)にするために社会を作り、格差の拡大を防ぎながら安全を確保した。
そんな風に考えると、会社と社会は完全な補完関係にあり、片方だけでは成り立たない。
見方を変えれば、営利事業を成立させるためには、非営利事業による環境整備が不可欠で、両者も完全に補完関係にある。
この関係性を実現する方法は様々あり、世界の国々はそれぞれの事情に合わせて工夫している。
これが、僕の描く世界のイメージだ。

自分の言いたいことがだんだん見えてきた。
世界は、営利事業と非営利事業の創出と組み合わせが生むバランス関係で成り立っている。
その継続的な担い手は必然的に団体となり、会社や社会の形をとる。
なので、世界は「会社(営利)と社会(非営利)」の組み合わせで読み解いていけば、全てを理解し参加することができるはず。
そんな仮説の下、僕はの「非営利不動産事業」を「」と呼んでいる。
「営利と非営利」を、収益を「分配するかしないか」でなく、利益を得るのが「自分か自分以外か」と置き換えることは、「公と私」「官と民」「公と共」などの概念を解り易く解きほぐす試みだと思う。
今日はここまで。