新しい家族

かつて支援活動家を名乗っていた僕が、活動家を名乗るようになって3年が経つが、僕のやることに特段の変化はない。
つまり、やることを変えたのではなくて、その呼び名を変えただけに過ぎないということだ。
だが、なぜ呼び名を変える必要が有ったのかというと、自分のやっていることが今まで思っていたこととは違うことのような気がしたから。
つまり、自分の思い違いに気付いたからだ、と僕は気付いた。
そこで今日は、自分のやっていることがこれまで思っていたことと違うことに思えたことについて話したい。
多くの人がそうであるように、僕は自分が感じることは、他人も同じように感じるはずだと思っている。
すべての人がそうで無くても、多くの人が同じで無くても、どこかに同じように感じる人がいるはずだと確信している。
僕はそういう人に会いたいし、その人に伝えたい。
そして、その人たちとなら、仲間になれるかもしれないと思っている。

僕が自分の思い違いに気付いたのは、昨日審査員として参加したイベント(チャレンジアシストプログラム)の冒頭で自己紹介をしている時だった。
2011年に初めて参加した時から、僕は一貫して「株式会社の松村です」と挨拶し続けてきた。
それは高名な団体や法人に所属する他の審査員と区別していただくためであり、「ただのおじさんの素朴な意見」として聞いて欲しいから。
そして「必要なのに誰もやらないことをやる」と言うと一見へそ曲がりに聞こえるが、その逆の「誰もがやっている不必要なことはやらない」と言い換えることが、僕の得意技だ。
だが昨日、まさにこの挨拶をした瞬間に、頭を電気が駆け抜けた。
そうだ、僕が取り組んできたのは「家族の法人化」だった。

株式会社なのに <会社紹介>
家族が幸せになるための仕事”なのに”、いつしか仕事に追われ家族と過ごす時間がなくなってしまう。
仕事をするための会社'なのに'、いつしか会社のために仕事をするようになってしまう。
そんな本末転倒に立ち向かうため、私たち家族は「株式会社なのに」という会社を作りました。
詳しくはこちら・・・https://nanoni.co.jp/nanoni_about/
だが僕は、決して「誰もが家族を法人化すべき」と言いたい訳では無い。
むしろ「法人づくり」を通して、「家族づくり」を考えたい。
つまり、「法人」という仕組みを利用して、自分たちが望む新しい「家族」を模索したいという意味だ。
これまで僕が標榜してきた「起業」と「国づくり」は、まさに「家族の法人化」に関する2つの側面と言えるだろう。

まず「起業」とは、「家族」を「血縁者の互助組織」でなく「事業化(≒会社化)」することだ。
ここで言う事業とは、家族の「生業(なりわい)」を指すのでなく、家族の「組織を化するための仕組み」のことだ。
そもそも家族とは、その構成員の互助関係を維持継続するための仕組みだったはずなのに、今やその機能は失われ、分裂と衰退を繰り返している。
その一方で、ビジネスの分野では、会社組織は法人化することで構成員が所属する不死身の人格を形成し、持続と成長を実現している。
大部分の企業が存続よりも営利を目的とし、所有と経営が分離されているために、組織全体を家族と認識しにくい。
だが、「家族経営」の言葉の通り、長寿企業の多くで家族の法人化が実現しており、収益力より永続性こそがブランド価値を生んでいる。

そして、「国づくり」もまた、「家族存続のための法人化」を意味している。
かつての国家は、その支配者を指す概念で、王家や王朝のような支配者一族を頂点とする「支配領域」を意味したが、現代の国家は「一定の領土と国民と排他的な統治組織とを供えた共同体」であり、多くの国家が国民主権の民主主義に基づく法人と言える。
一定の領土(地域)を担う法人としては、地方自治体など様々あるが、誰もが独自の法人を作れるという意味で、僕はあえて「国」と呼んでいる。
国連で、中国やインドのような大国と、小さな島国が対等な一票を持つように、家族と言う法人には、政治や信用などの制約はなく、一切の上下関係も優劣も必要ない。

1999年僕は42歳の時に会社を経験し、会社が消えても仕事をやり続ける道を選び、今も歩き続けている。
僕にとって会社よりも仕事が大切だったからだし、そして会社より家族が大切だったから。
「それ」を仕事にすることを「起業」と呼び、「それ」を継続することを「国づくり」と呼んだに過ぎず、「それ」とは「家族」のことだった。
「家族」とは・・・今日はまだ一言で言えないが、これまでの「家族」に代わる「新しい家族」を目指していることを、今、皆さんに宣言しよう。