私国(民営国家)を作ろう

「私国」とは、「民営の国」のこと。
この話を始める前に、日本という国の現状をおさらいしよう。
日本の国土は、国や自治体が所有する「官有地」と、民間個人や法人が所有する「民有地」で構成されていて、「民有地」の管理はその所有者に一任されている。
明治維新で廃藩置県が実施された時、日本は約300の藩という小さな国で構成され、土地所有に官民の別は無く、むしろ領主ですら所有でなく管理(知行)を担っていた。
廃藩置県を画期的な無血革命と評する人もいるようだが、そもそも領地は領主の所有地ではなく、江戸幕府から補助金をもらっていたわけでもないので、多くの領主が「ホッとした」のが実情だ。
それどころか、「所有」は明治時代に翻訳された外来語(ownership)なので、所有という言葉すら存在しなかったことは拙著「の学校」を参照されたい。

廃藩置県とは、藩を廃して県を置くこと、つまり、領主による国ごとの統治から、県という単位で国を分割統治するやり方に変えること。
言い換えれば、徳川幕府の権力による間接統治から、明治政府を頂点とする行政組織による直接統治に移行した。
だが、明治政府は国土全てを直接統治するのでなく、道路や河川などのインフラや役所や学校など公共施設だけを所有・運営し、残りの部分に課税することで統治する道を選んだ。
これは、共用部分を管理しながら住戸を賃貸するアパート経営にそっくりだが、決定的に違うのは、共用部分を作り管理する以外は何もしないこと。
つまり、官有地については手厚く維持管理を行うが、民有地に関しては放ったらかしで、全てを所有者に委ねている。
たとえ大災害に襲われても、国が復興するのはインフラなど官有地だけで、市民の生活や仕事の復興は当事者任せの放ったらかし。
この現状を、前提として今日の本題に移りたい。

僕が「活動家」を名乗り始めたのは2020年10月なので、もうじきまる3年が経過するが、その活動はちっとも広がりを見せていない。
その原因は「国づくり」という言葉にあるのは明らかで、この使い古された言葉では、誰も新たな提案と気づいてくれない。
僕の問題意識は、日本における国づくりが官有地でしか行われていないこと。
官有地ばかりが立派になって、民有地はボロボロだ。
今増え続けている空き家や放棄地は、全てが民有地であることを忘れてはならない。
もちろん民有地の中には、ビジネスや観光で盛り上がり、開発整備が劇的に進む地域もある。
だが皮肉なことに、そのが周辺地域との格差を拡大し、衰退を招いているのは明らかだ。
つまり、僕が取り組む「この問題」とは、まさに「民有地の問題」だ。
当然「国」は「国土全て」を示すので、「民有地部分」を示す言葉が必要だ。
またしても、僕の言葉探しが始まった。

まず、国土のうちの民有地部分を示すので、「民国」を考えたが、「中華民国」などで使われていてこれは使えないし、「民有国」では「民有地」に近すぎる。
だが待てよ、、、所有は官民の違いで論じるが、使用は公私の違いで論じることを思い出した。
そこで思い切って「官民」の区別から「公私」の区別に切り替えて、「私国」という言葉を編み出した。
そして、僕が新たな言葉を使い始める時、必ずググって「他の意味の有無」を確認する。
すると嬉しいことに「私国」という記事は見当たらず、「私の国」韓国ドラマばかりがヒットする。
念のため数ページめくっていくと、『王様戦隊キングオージャー』に登場する「民道私国(民は道具で私が王)」という造語が見つかった。
なので、「私国」は僕の造語として使っても、ひとまず大丈夫と判断した。

ここで余談だが、「私国」と検索したはず、「市国」つまり「バチカン市国」の記事が現れた。
僕は、この「市」を「市民の市」かも知れないと思い、早速「市国」を夢中で調べたが、期待するような記事は一つも見つからず、単なる「Vatican City Stateの訳語」でしかなかった。
そもそもバチカンは、19世紀までカトリックの教皇領として永く統治されてきたが、1870年の普仏勃発によってイタリア軍が教皇領をすべて接収し、バチカンはイタリア領となった。
翌1871年には、イタリア政府は教皇にバチカンおよびラテラノ宮殿の領有を認めたものの、教皇ピウス9世はこれを拒否し、以後50年以上にわたってローマ問題と呼ばれる両者間の断絶を引き起こした。
1929年2月11日になってようやくムッソリーニ首相との間で合意が成立し、教皇庁が教皇領の権利を放棄するかわりに、バチカンを独立国家とし、イタリアにおけるカトリック教会の特別な地位を保証した。
そして「教皇との和解」を実現したムッソリーニの独裁体制はより強固なものとなったというから、歴史は

というわけで、今後僕の「国づくり活動」は、「私国を作り運営すること」と説明する。
ちなみに、モナコやリヒテンシュタインなどの「公国」は、王でなく貴族、特に公爵が元首である国家を指すという。
名前なんて、適当だ。
何だって、行動で示すしかない・・・と僕は思う。