先日、「地主の学校・読解ゼミ」メンバーの若者たちが、久しぶりに集まることになり、仕事帰りに集まりやすいのは渋谷だろうと意見がまとまった。
そこで僕は、学生時代=50年前に通ったなじみの店を紹介したくなり、彼らをディープでレトロな夜の渋谷に誘った。
まずは百軒店の中ほどにある「名曲喫茶ライオン(1925年~)」に集まり、20時には道玄坂小路にある「麗郷(1955年~)」で台湾料理を堪能し、食後は百軒店に舞い戻り、老舗ロック喫茶「B・Y・G(1969年~)」で飲み直した。
渋谷と言えば、駅を中心に変貌し続ける「ずっと工事中のまち」の印象が強いし、周囲を見渡せば今や都心部は巨大な再開発プロジェクトだらけと言っていい。
なのに、僕にとって魅力を感じる開発は一つも見当たらず、都心部の行きたくない場所リストは増えるばかり。
今回歩いたレトロな渋谷こそが、僕を中学生のころからずっと魅了し続けてきた「渋谷」であることに、改めて気が付いた。
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また一方で、「なぜ僕は新しい開発に惹かれないのだろう」と疑問も感じる。
国内外に関わらず、僕が行ってみたいと思うのは歴史を刻む古い町ばかりだ。
先日もお気に入り番組の「世界ふれあい街歩き」で紹介する「ドイツのニュルンベルグ」に魅了され、仕事をサボって見入ってしまった。
歴史的町並みはもちろんのこと、ここで繰り広げられた歴史ドラマは数知れない。
だが、何よりも驚いたのは、ここが「第2次大戦で廃墟と化した街の忠実な復元」ということだ。
世界遺産にも登録されたポーランドの「ワルシャワ」が、復元された都市として有名だが、僕たちはヨーロッパの多くの都市が「戦禍からの復元都市」であることを忘れがちだ。
そんな復元都市がほとんど見当たらない日本の方が、むしろ世界では珍しいのかもしれない。
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もちろんわが国でも、復元が行われないわけではない。
縄文時代や弥生時代、古墳時代の復元施設は各地に存在するし、織田信長に焼き討ちされた朝倉家の一条谷でも、見事な復元が進んでいる。
でも、これらは考古学的研究の対象として保存されるに過ぎず、そこで生活が営まれたり、地域社会が存在する訳では無い。
つまり、復元とは「有る時代(時点)の状態を再現すること」なので、過去であれば自由に選択して再現できるはず。
その時代を覗きたいだけなら復元展示すればいいのだが、その時代に戻って社会を作り直したいと願うのが復元都市に違いない。
戦争にまい進する以前のニュルンベルグに戻すことで、戦争をしない未来としての現在を生み出そうという意思を感じる。
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日本の地域社会に復元都市は見当たらないが、復興都市はたくさんある。
辞書によれば、復元は「古代の住居や生物など、今は失われたものの姿を再現すること。」、復興は「地域の建物や経済、文化が、以前の勢いを取り戻すこと。」とあるが、両者には致命的な違いがある。
それは、前者がある時点での「姿」であるのに対し、後者が「勢い」であること。
「姿」であれば、手間さえかければ再現できるが、「勢い」を再現するのは難しい。
「復興計画」や「復興支援」など、復興に関する様々な言葉が飛び交っているものの、それが実現した事例は滅多にない。
いや、正確に言えば、目指すべき復興の姿を具体的に描いたビジョンすら、あまり見たことが無いのが実情だ。
そもそも実現の姿を具体化せずに、実現できるはずがなく、むしろその成否を曖昧にするために、役立っている始末だ。
その意味で言えば、復元は過去の再現なので、極めて明確なビジョンを持つし、むしろ明確なビジョン無くして復元は不可能だと言えるだろう。
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だとすれば、渋谷をはじめとする「新たな再開発」は、一体何なのか。
具体的な設計図に基づいて施工されているのだから、ビジョン通りに実現するだろう。
だが、完成予想図に描かれているのは、人々が集い、商売が繁盛する成功のイメージに過ぎず、その実現はもちろんのこと継続の確証はない。
それに対し、復元の対象となる時代や社会は、かつて存在した事実であり、実績だ。
その上、その未来や破たんへの道筋まで、全てが検証可能であり、少なくとも同じ失敗を防ぐ道のイメージを誰もが共有できるかも知れない。
たとえ、新たな再開発プランが失敗経験に基づいていても、その実現が失敗以前の現状より良くなる保証はない。
新しいとは、そういう未知のことを示すのだから仕方ない。
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いずれにせよ、元の状態に戻すのは、それが目指すべき道筋の途中だったから。
僕の目指す「継続の道」では、失敗が「道から外れること」で、成功は「道を外さず歩み続けること」だ。
道から外れてしまった時、「外れてしまった所(時点)まで後戻りする」のが復元で、「後戻りせずに近道を建設する」のが新たな再開発だと僕は思う。
復元と開発は確かに逆方向に進むことだが、どちらも同じ、外れてしまった進むべき道に戻ることを目指している。
一見逆のことは、互いを否定しているのでなく、選択肢に過ぎない。
「元の状態に戻す(復元)」か、「戻すのでなく別の状況を作る(再開発)」かの違いは、「知ってるところ」と「知らない所」のどちらを新たなスタート地点とするかという問題だ。
僕が知ってるところからスタートしたいのは、臆病だからでもあるけれど、「知らない未知」より「知ってるその先の未知」を知りたいからかもしれない。