自分自身の法人化

松村さんの話は難しいとよく言われるが、これは困った問題である一方で、嬉しい評価でもある。
そもそも「難しい」の反対が「簡単」であるならば、僕は「簡単な話」などする気はない。
だが、「難しい」が「分かり難い」という意味なら、もう少し「解り易くする」工夫が必要だ。
なので、僕が認める難しさを、「未知の難しさ」と言い替えたい。
知らないことを初めて知る時に、それを理解するのが難しいのは当然だ。
だからと言って、その理解を諦める訳にはいかない。
せっかく他人が気付いていないことに気付いたのに、それを知らせることができない歯がゆさに、僕は到底耐えきれない。
初めの言葉は、僕の話を「知らなくて難しい」のは嬉しいが、「説明が下手で難しい」のは悔しいという意味だ。

今日の話題「自分自身の法人化」は、まさにそんな話の好例だ。
この言葉をググっても同じ言葉は見つからず、「法人成り」の話にすり替えられてしまう。
せっかくの「未知の概念」が「違う概念」にすり替えられ、誤認されることで新たな気づきから遠ざかってしまう訳だ。
こうなると、僕はがぜん燃えてきて、この問題に立ち向かいたくなる。
そこでまず、「法人成り」に関する説明を列挙してから、僕の言う「法人化」と対比しながら説明したい。

「法人成り」とは、個人事業主が法人を設立して、今まで個人事業で行っていた事業を法人に移行すること。
「法人成り」をする5つのメリットは、、、
1.信用度が高くなる
2.有限責任になる
3.節税できる(給与所得控除、退職金、欠損金の繰越控除、消費税の納付免除など)
4.事業を継承できる
5.決算月を任意に決められる
これに対し、法人成りをする5つのデメリットは、、、
1.設立費用がかかる
2.社会保険に加入しなくてはならない
3.事務の負担が増える
4.赤字でも税金がかかる
5.役員報酬(給与)が毎月同額になる
、、、と某サイトに書いてあった。

一方、僕の言う「自分自身の法人化」とは、個人が自分の所属する法人に自分が個人所有している財産を寄付して法人所有にしてしまうこと。
なるほど、ここまで書いただけでも、次の2点に更なる説明が必要だ。
第一に、僕の言う法人化が「事業」でなく「所有」に関すること。
ここで言う「事業」とは「所有と経営」で構成されているのだが、先ほどの「メリット・デメリット」を見ると「法人成り」には「所有と経営」双方が含まれるとは思えない。
実際、事業を法人化することと、事業用地や株式を法人所有にすることは別問題。
「経営と所有の分離」の言葉の通り、「事業の経営主体」を個人から法人に移行することが「法人成り」で、「事業に関する資産や株式」を個人所有から法人所有に移行するのが、僕の言う「所有の法人化」だ。

第二に、「法人成り」は法人を作ることだが、「自分自身の法人化」とは個人が法人に所属すること。
ここで言う所属とは、雇用されるのでなく構成員となることだ。
つまり、個人が自力で所有するのでなく、所有する法人に所属することで共有する仲間になる訳だ。
だが待てよ、僕らはそもそも個人所有などできているのだろうか。
確かに、鉛筆や消しゴム、様々なモノや能力など、所有物として自由に支配できているが、少なくとも「土地」についてはそうとは言えず、自分以外の関係者や様々な生き物たちと共有しているのが実情だ。
その上わが国では、すべての土地がその所有を国から認められるが、固定資産税(及び都市計画税)の納付が義務付けられている。
これは、国から税相当額の賃料で賃貸しているか、国と言う法人に所属して税相当額の会費を払っているのと変わりない。
所有名義を書き換えるたびに「相続税という書き換え料」が課される実態からは、むしろ賃貸とするのが妥当だろう。

だとすれば、土地の個人所有は幻想にすぎず、その実態は今も昔も法人所有なのかもしれない。
国と言う法人やコミュニティが大きくなりすぎて、そこに所属していることすら忘れてしまい、国から与えられているものを自分のモノと思い込んでいるだけのこと。
先般「憲法を使おう」と題して三つの記事を書いたばかりだが、憲法は国民が国家を縛るためにあるように、権利も与えられるばかりでなく与える側になることを考えたい。
土地を自分で所有できていると考えるのでなく、土地使用を許す国そのものを自分たちで支配すべきだと僕は思う。
「自分自身の法人化」とは、自分を「孤立した人間(個人)」から「法人に所属した人間(市民)」に移行すること。
その上で自分の財産を法人に譲渡して、「所有させてもらう側」から「所有させてあげる側」になることを僕はすでに始めている。