憲法を使おう3

最近「憲法」にハマっている僕は、先日ついに「憲法の使い方」のトークイベントまでやってしまうほど、頭の中が憲法で溢れている。
今では、何を考えるにしても必ずと言っていいほど憲法と関連付け、憲法を体の一部にしたい気分になっている。
というのも、憲法と法律を明確に分けているのは国家と国民の関係を規定するためであり、我ら市民がコミュニティのルールを作るとき、わざわざ憲法と法律を分けることは滅多にない。
つまり、憲法と法律の2つのルールが存在するというよりは、ルールには憲法的部分と法律的部分が有り、僕らはそれらを無意識のうちに使い分けているのではないかと思えてきた。
そこで、このブログでも、もう一度だけ憲法をテーマにし、勝手な意見を述べたいと思う。

まず初めに、憲法と法律の定義を試みたい。
僕たち人間は、コミュニティをつくることで社会を形成して生きている。
コミュニティとは、何かを共有する集合体のことであり、共有する対象を「憲法」という。
コミュニティの構成員が「憲法」を共有するために必要なルールを「法律」という。
コミュニティにはさまざまな種類があるが、それは憲法で規定(定義)することができる。
現在世界を構成する代表的なコミュニティ単位は「国家」と呼ばれるが、これは「戦争」をするためのコミュニティだ。
その証拠に、国家は戦争するために軍隊を保有し、軍隊同士が殺し合うことを認めている。
世界には、全ての国家を管理する法や仕組みは存在せず、戦争を回避するために作られた国際連合に加盟することが標準と思われているが、台湾など一部の国は加盟が認められず、世界を網羅しているとは言えない。

また、国家は世界を構成するコミュニティの一部に過ぎず、実際にはさまざまなコミュニティが複雑に錯綜している。
EUやASEANなど隣接する国家同士が連合したり、OPECなどのように経済や産業に関するコミュニティなど、様々なグループを形成する。
一方、ほとんどの国家は、1つのコミュニティでなく、地域コミュニティの集合体だ。
国家は、地域(部分)コミュニティを統括調整する一方で、地域の自治を尊重し、地域社会は国家に所属しつつも自由に国外の地域社会と連携したりグループを形成できる。
このほかにも、教育、芸術、スポーツなどあらゆる分野に、リアル、バーチャル、オンラインなど様々なコミュニティが存在するが、そこには必ず構成員が共有する「何か(概念)」が存在し、僕はそれを「憲法」と呼ぶことにしている。

したがって、「コミュニティのメンバーになること」は「憲法を共有すること」に他ならない。
だから、「憲法を共有できない人」は「コミュニティのメンバーになれない」ことになる。
例えば「サッカーチーム」を考えると判りやすい。
サッカーの憲法は「手を使わずにボールを操ること」なので、キーパー以外で手を使う人は参加できない。
この憲法は絶対で変更はできないし、反対意見を述べても無駄でしかない。
僕はこのことに気付いた時、日本国憲法が面白くなった。
戦争のための国家だからこそ、「戦争の放棄」に意義があり、日本国の存在意義はそこにある。
あえて言えば、「手を使わないのがサッカー」のように、「戦争しないのが日本」なのだから、僕は世界中に「日本を広めたい」と思うようになった。

次に、様々な実際のルールを見てみよう。
僕らはグループや団体を作ると、かならず「ルール」を作る。
なぜ「ルール」を作るのかと言うと、「グループを運営するために必要」と思っている人もいるようだがそうではない。
「ルール」が無ければグループが成立しない、言い換えれば、「ルール=グループ」だと考えて欲しい。
次に示す「ルールで決めるべき必須事項」を見れば、このことは明らかだ。
1.グループの名前
2.グループの目的
3.グループがやること
この3つに賛同し、当事者となりたい人ならだれでもメンバーになることができる。
こうしたルールの核心部分を、僕は「憲法部分」と考える。

一方、ルールには、この3つを実現するために必要な事項が加えられるが、それらを僕は「法律部分」と考える。
例えば、メンバーになる手続きや具体的な権利や義務、そして実際の運営を行う役員や、総会・理事会など運営方法について様々なことを決めておきたい。
だが、代表の選び方や会議のやり方について、独自のこだわりがあるのなら、それはグループの定義に属することなので「憲法部分」と言えるだろう。
なので、憲法部分と法律部分は、内容ごとの分類でなく、「主と従」の分類だ。
あくまで「憲法部分」が主体となり、それを補足し改善するのが「法律部分」と言えるだろう。
なので、必要に応じて改定される法律部分は「別紙参照」として、本文は「憲法部分」のみでまとめても良いかも知れない。
僕は今、関わるコミュニティの全ての規約に対し、こうした視点からの見直しを開始した。

そして最後に、愛すべき日本国憲法に対する不満意見を述べたい。
前回も指摘したように、憲法条文の中に「・・・は、法律でこれを定める」という部分が多く見受けられるが、憲法として「これはおかしい」と僕は思う。
特に不満なのは、「第10条〔国民たる要件〕」で、「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」では単なる法律への丸投げだ。
僕ならば、絶対に「日本国民たる要件はこの憲法を共有し、その理想に向け共に歩むことであり、詳細は法に定める。」とするだろう。
法治国家とは、人が治めるのでなく、法が治める国のこと。
政治家より、天皇より、僕らが共有する憲法こそが最強だということを、きっぱり言いたい。