憲法を使おう2

先日「憲法を使おう」と題してブログ投稿したところ、珍しく多数の反響をいただいた。
その多くは、「改憲に賛成する61%の人が皆、憲法を読んでるとは思えない」という僕の投げかけに、「実は私も、憲法をきちんと読んでいなかった」というもので、僕は内心安堵した。
だが一方で、「憲法を知ったところで、どうにかなるんですか?」と諦めを意味する疑問の声が聞こえてきて、僕の脳みそは再び沸騰した。
憲法を知ることはあくまで手段に過ぎず、それ自体が目的ではない。
そんなことは分かり切っているし、その最大の目的が「をしない平和」であることにも異論はない。
憲法の無力を嘆くのは、「憲法の使い方が解らない」からだと思う。
今日はこの問題に立ち向かう。

そもそも「憲法を使おう」という僕の提案を、もっと具体的に説明する必要が有りそうだ。
僕が手始めにやってみたことは、法人を国にするために定款を憲法にすることだった。
すべての法律は、憲法を前提としてできているので、法人に関する法律も憲法に基づいているはずだ。
ならば、法人のルール=定款だって、憲法に基づくはずだから、いっそのこと憲法を自分の法人に当てはめてみた。
日本国憲法は、大日本帝国憲法の修正版なので、第1章でまず「天皇」を国の象徴(飾り)にして、第2章で「戦争の放棄」を宣言し、その後第3章「国民の権利及び義務」、以下「国会」、「内閣」、「司法」、「財政」、「地方自治」、「改正」・・・と続く。
そこで、社団の憲法は、初めに「仲間の定義」、次に「対外姿勢」として、その後「仲間の権利義務」、「総会」、「役員」、「理事会」、「財務」、「委員会」、「改正」・・・と置いてみた。

次にやったのは、日本国憲法を自分の法人の憲法と思って読むことだ。
例えば第1章の「天皇」は、自分が天皇になるのでなく、自分がこの憲法を作る立場になって、なぜ天皇を元首でなく象徴にするのかを考えながら読み、どう書き直したいかを考える。
僕たちは憲法を与えられるのでなく、与える側の立場にあることを忘れてはならない。
すると、この憲法を作った人は、どんな思いで何を目指して作ったのかに、思いを巡らせる自分を感じる。
その答えは、後の条文に有るはずがない、つまり第一章の更に前、「前文」に書いてあるはずだ。
だが待てよ、必要に駆られて法律を調べる時は、まず該当する条文を探し出し、そこだけを必死に読んでしまうことを思い出した。
それは、法律を作り与える側でなく、法律に縛られ、従う側のやることだ。
憲法と法律の違いはまさにこの点だと僕は確信する。

というわけで、法律に込めた思いや願いは「前文」に書いてある。
前文=前提であり、定義と言っていいだろう。
全文の紹介は別の機会に譲るが、前文の最後はこう締めくくられている。
「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」と。
僕はこれを読んで、この憲法を「自分のモノ」として受け入れることこそが、「日本国民」の定義であり条件だと思った。
ところで、ここまでの話を聞いて、あなたは「松村はなぜ、偉そうに説明できるのか」と思わないか。
僕は、法律の専門家でなく、ただのおじさんだ。
まともに勉強すらしたことも無く、今回初めて憲法を夢中で読み漁っているだけだ。
でも、すべての国民が自分のモノとして受け入れるべく作られた憲法なら、だれもがそれを読むだけで分かるはずだし、分かる範囲でしかないはずだ。
専門家や偉い人、立派な人に頼るのでなく、法律が社会を治める「法治」とは、まさにそういうことだと僕は思う。

改めて前文をよく嚙み締めた後、僕は条文に取り掛かった。
一言一句、心から賛成できるか、疑問や違和感を感じないか、僕は細心の注意を配りながら読み進めていった。
すると驚いたことに、条文の内容に「違和感」を感じることがほとんど無く、これは凄いことだと僕は感じた。
だが同時に、現実との不整合を各所に感じ、そのことにもっと驚いた。
一つ例を挙げると、第4章「国会」の第51条〔議員の発言表決の無答責〕に、「両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。」とある。
つまり、国民に選ばれた議員が議会で何を言おうと、賛否を表そうと、議会の外で責任を問われない。
ならば、失言で足を引っ張り合う議員はもちろんのこと、文芸春秋をはじめとするジャーナリストやその聴視者は全て憲法違反だし、それに忖度する行政も、それを放置する司法も同罪だ。
憲法9条ばかりが取りざたされるが、むしろこちらの方が深刻だと僕は思う。

9条で思い出したが、第10条〔国民たる要件〕には「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」とある。
「国籍法」がそれにあたるのだが、そこには「憲法に賛同し、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」とは書いていない。
そこに規定されている「血縁」や「婚姻」は、遺伝学的「日本人」へのこだわりであり、国民の定義とは程遠い。
第一条(この法律の目的)の「日本国民たる要件は、この法律の定めるところによる。」という言葉に最大限の違和感を感じるし、「国籍法」こそが違憲状態に他ならない。
僕が日本国への所属に疑問を感じ、新たなを目指すのは、たとえ小さくても「日本国憲法に基づく国(=本当の日本)」を作りたいからだ。
それはすべての他の地域(外国)と戦争をせず(仲良く)、この憲法に賛同して行動する人々のコミュニティ。
この憲法の範囲内でさえあれば、誰かの解釈に従うのでなく、同じ解釈をする人たちがその解釈に基づいて自由に法律を作って良いはずだ。
それなら今すぐ始められるし、僕はもう始めている。