社員(しゃいん)という言葉には、以下の2つの意味があり、多くの人がこれらを区別できずにいる。
一つは法的な概念としての「社員」で、社団の構成員を指す。
例えば、一般社団法人や特定非営利活動法人(NPO法人)の社員や会員、会社の場合は出資者(株式会社においては株主)のこと。
法人の構成員たる社員によって構成される社員総会が、その法人の最高意思決定機関となる。
もう一つは通俗用語としての「社員」で、会社の従業員を指す。
国語辞書を引くと、むしろこちらの意味が第一義とされる場合が多く、役員に対する社員とか、非正規雇用者に対する正規雇用者を意味する言葉として用いられる。
社団法人や官庁、自治体などで会社以外の法人で雇用される労働者は、「社員」でなく「職員」と呼ばれることが多いようだ。
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このことは、これまで何度も書いてきたことなのだが、法人新設に際して説明が不要だった試しが無い。
社団の構成員は、本来法律用語である「社員」とすべきなのに、従業員と混同せぬよう「会員」とするのは本末転倒だ。
そして、株式会社は株主を「社員(構成員)」とすべき法人なのに、従業員つまり労働者を「社員」と位置付けることで、株主(社員)だけでなく、労使双方を含むすべての構成員が、勘違いしていると言っても良い。
法人:corporation、社員:employee、社団:society、会員:member、会社:companyなど、対応する英語と比較しても、その混乱がくみ取れる。
ここでは、日本流日本語的用法に基づいて、議論を進めたいと思う。
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さて、今日は「社員」に内在する「構成員」と「従業員」の違いについて考えたい。
「構成員」とは、株式会社の株主や、社団法人の社員のことで、法人を担う主体を意味する。
これに対し、「従業員」とは、法人を雇用主とする従者であり、「構成員」と「従業員」は主従関係にある。
株式会社では、株主は取締役を雇用し、取締役が社員(従業員)を雇用する。
代表取締役は取締役会の代表者で、社長は社員(従業員)のリーダーだ。
したがって、資本金を全額出資している代表取締役社長とは、一人で株主と取締役と社員を兼任していることになるのだが、大多数の中小企業はまさにこの形式なので、「構成員」と「従業員」の区別など思いもよらないはず。
むしろわが国では、投資家と事業家や、雇用者と就労者等の対立関係ばかりが関心事となっていった。
だが、組織の存続や事業の承継を考えた時、乗り越えるべき障壁はこの対立関係でなく、むしろ区別内にある。
つまり、いかにして次世代の構成員と、次世代の従業員を育て、継続的に合意を維持できるかという問題だ。
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そこで大切なことは、先ほど述べた「構成員と従業員が社員の中に同居する」ことだ。
社団法人の「社員」は、法人が所有する財産を共有(総有)し支配する「構成員」であると同時に、法人事業に携わる「従業員」でもある。
封建社会に例えれば、君主一族の「構成員(家族)」と同じこと。
すでに封建的支配体制は解体され、民主化の流れは止められないが、その流れは2つの向きに分岐した。
一方の流れは、「従業員(かつての奴隷)」から「構成員(経済的成功者)」を目指す資本主義の道。
もう一方は、「構成員(支配者)」から「従業員(平等な労働者)」を目指す社会主義の道。
だが結局、前者は少数の成功者による搾取が続き、後者は平等を管理する独裁を招いている。
民の一部が成功して主になるか、民の平等を実現する主に頼るのか、民主主義は、2つの解釈に割れている。
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そこで、僕が掲げた「みんなで地主」は、民(皆)が主になる第3の民主主義を標榜する。
これは、既存の民主主義を否定するのでなく、3つ目の選択肢としての提案だ。
社会を「株式会社で構築する資本主義」や、「国営企業で構成する社会主義」でなく、「社団法人で構成する民主主義」が有っても良いと僕は思う。
社団法人とは、corporation of society であり、これを略してcommunity ってどうだろう。
「やりたいことを仕事にする」とは、やりたいことを共有する構成員が、自ら従業員として働くこと。
多様な価値観を共有する、多様なコミュニティが、多様な社会(小さな国)を作り出し、血縁で繋がるのでなく夢で繋がる社会を作りたい。
さあ、あなたの疑問、質問、反論が楽しみだ。