一票の格差

先月11月18日、改正公職選挙法が成立した。
参議院本会議で行われた採決では、自民・公明両党や、立憲民主党、日本維新の会、国民民主党、社民党、NHK党、参政党などが賛成し、共産党、れいわ新選組だけが反対した。
これにより、おととしの国勢調査をもとに試算すると、いわゆる1票の格差は1.999倍となり、現在の最大2.096倍から改善される。
また付帯決議では「法律の施行後も、選挙制度は不断に見直していくべきだ」として、速やかに与野党協議の場を設け、人口減少や地域間格差が拡大している現状を踏まえ、議員定数や地域の実情を反映した区割りの在り方などについて抜本的な検討を行うとしている。
これに対し、共産党は「選挙のたびに選挙区が変わるのでは、有権者と候補者の関係が継続せず選挙とは言えない」と反論した。

このニュースを見て、あなたはどう思う?
議席数は変わらないし、一票の格差は2倍以内になったし、ま、いいんじゃないの、、、だろうか。
だが僕は、これほど無駄な手続きと、無意味な議論を聞くだけで、吐き気に近い不快感を覚える。
そもそもこの議論の核心は「一票の格差」であったはず。
格差を解消するのなら、まずその前に格差の弊害や解消の必要性について論ずるべきだと思う。
「格差は善」とは言わないが、だからと言って「格差は悪」と決めつけて良い訳ではない。
格差の悪い面を解消したいなら、その格差がなぜ生まれるのかについても検討し、生まれないようにする必要だってあるかもしれない。

一票の格差とは、同一の選挙で選挙区ごとの有権者数あるいは人口数が異なることから、1票の価値あるいは選挙区民一人ひとりの価値が異なることを指摘する言葉 。
仮に同じ議席数でも人口が異なれば、一方の選挙区の落選者と同じ得票数で、もう一方の選挙区では投票できる場合がある。
こうした不公平は、社会の至る所で見受けられる。
かつてハーバード大学では、人種ごとの入学者枠を世界の人口比に準じたところ、結果として有色人種枠の合格点が下がり、白人受験者の不満を募らせた。
これに比べれば、選挙権に能力差は無く一人一票なので、選挙における一票の格差を解消したいなら、定員を変えれば簡単だ。

我が国の人口12,614万人に対し、最も少ない鳥取県の人口は約57万人なので、鳥取県に1議席割り当てると、221議席になる。
そこで、鳥取県に2議席割り当てて、その他の都道府県には28万人ごとに1議席ずつ割り当てれば、最大でも鳥取県に3議席割り振った場合の19万人/議席と28万人・議席の比較で1.47倍となり、現行の2倍よりずっと少ない。
だが、現状の衆議院は、小選挙区289と比例区176の465議席だ。
上記のプランは442議席あれば実現できるので、総数は十分だが2つの方式が邪魔をする。
こうして考えてみると、小選挙区と比例代表の2方式を併存させていることが、格差解消を妨げる要因だと判ってきた。
だが、この問題は別の機会に譲ることにして、今日は脱線しないようにしよう。

さて、格差の解消は諦めるとして、今回の改正にやる意味などあるのだろうか。
一票の格差が最大2.096倍から1.999倍になると言うが、そんなことのために、区割りを変え、その周知を徹底するだけでなく、今後も「見直し続ける」など、まさに「無駄」ではないだろうか。
2.096-1.999=0.097つまり、1議席あたりの総人口約1%を調整することなど、ここに含まれない外国人、含まれても投票できない子供たち、せっかく投票しても小選挙区で落選するすべての死に票、そして選挙に行かない半数の人たちの存在も、一票の価値には含まれるはずだ。
選挙区の連続性にこだわる共産党の言い分も重要だ。
選挙後の議員の動向を見て、次の選挙で誰に投票するかを決めるには、選挙区割の連続性が不可欠だ。
これらの全体像を俯瞰する中で、わずか1%の格差是正に意味などあるのだろうか。

そして最後に、一番大切なことを述べるためにあえて脱線する。
一票の格差はなぜ良くないのか。
一票の価値とは、一議席あたりの人口を指すことはすでに述べた、
1議席あたり1,000人の選挙区Aと、1議席あたり10,000人の選挙区Bでは、確かに当選に必要な得票数に格差があるが、それのどこがいけないのか?
AがBより当選しやすいから?、それともBの議席の方がAの議席より価値があるから?、いや多分「単に違う」から不公平だと言うのだろう。
つまり「同じ」が正しくて、「違い」は間違っているという、意味不明の決めつけか。
そもそも、国会議員を選ぶのに自治体や地域単位の代表を選ぶこと自体意味が無い。
地方自治は、地方議員と市民が担い、国会議員は「全国一律の仕事と外交」だけをやるべきだ。