ビジネス町内会(後篇)

空き家問題の本質は、それがもたらす迷惑でなく、その発生や増加が地域社会の衰退を示していること、そうした議論が聞こえてこないことに、僕は強い憤りを感じている。
一見「空き家の解消」に取り組んでいると思われるかもしれないが、僕が目指すのは「地域社会そのものの存続」だ。
そこで前篇では、日本各地で地域社会の活力を永く担ってきた神社仏閣や町会、商店街を振り返り、それらに活力をもたらしたものに思いを馳せた。
そして辿り着いた諸悪の根源は、「職住分離」という言葉に集約されるだろう。
明治維新以前の日本は、およそすべての地域社会が基本的に自給自足で存続してきた。
生産や販売などすべての事業を集約化・合理化することで、日本が驚異的な発展を遂げたことは確かだが、その結果もたらされた職住分離が、地域社会を淘汰している。

働きやすい地域や、住みやすい地域が活気づき、繫栄するのは素晴らしいことかもしれない。
だが一方で、そうした「した地域」だけが残り、残りの「した地域」が廃れていくので良いのだろうか。
これが会社やビジネスなら、失敗したらひとまず整理してから出直せばいいかもしれないが、地域社会はそうはいかない。
助け合いながら世代を重ねて生き続けることこそが地域社会=地域コミュニティの目的だ。
はるか昔、人類が生まれた頃の地域コミュニティは、その存続をかけて戦いに明け暮れていた。
食べるため、生きるために他の動物や自然の脅威と戦い、縄張りを守るため周囲の敵と戦った。
そして、強者が弱者を従えたり、相互に補完し合ったりしながら地域社会が組織化された状態を「国」と呼ぶようになった。

だがこれは、「国は地域の平和を守るためなら、の名の元に殺人や破壊を行って良い組織」という意味であり、この世界は「国」という戦争組織の集合体だ。
戦争を許容しているかぎり、世界の誰もロシアを止められないのは当然だ。
そんな世界で、一気に強国にのし上がった日本は、先の戦争で完膚なきまでに叩きのめされた末に無条件で降伏し、戦争を放棄した唯一の「国」だ。
だからこそ、世界平和を唱えるべきというのは容易いが、その実現はおぼつかない。
繰り返しになるが、日本以外のすべての国は戦争を容認し「仕方ない」と諦めているのだから。
でも世界の人々は、国の集合体としての世界でない「新しい世界」を模索しているのも確かだ。

その一つが、グローバル=国境を越えた「一つの世界」で、通信、運輸、経済がすべての人を直接つなぎつつある。
そしてもう一つが、ローカル=国単位で無い「無数の地域社会」で、独自の人間、空間、時間が織りなす世界の性をもたらしている。
この二つは、新しい世界の表裏や陰影のごとき一体で、つなぐ側とつながれる側の関係にある。
そんな世界に生きる僕たちは、インターネットを介して世界とつながった気になっているが、果たしてそうだろうか。
そこはあくまで仮想空間で、現実の世界を疑似体験しているにすぎない。
つまり、僕たちは世界を楽しむ側だけでなく、楽しみを提供する世界そのものの一部にもなる必要がある。

そこで僕の提案は、ビジネスの近所づきあいを推進する「ビジネス町内会」。
ビジネスを、国単位だけでなく、地域コミュニティ単位でやるべきだと、僕は強く思う。
その目的はただ一つ、世界から戦争を無くし、平和で楽しくしたいから。
かつてのように自給自足できずとも、地域の独自性や強みを生かして何とかやりくりしたい。
たとえ貧しくても、何とか破綻せずに存続したいのが地域社会だ。
私的な役割を担うのが民間で、公的な役割を担うのが行政という分担が、そもそも職住分離を促進している。
僕たちがまずすべきことは、公を官に任せずに、自分たちで公と私の両方を担うコミュニティを作ること。
それが「私的なビジネス」と「公的な町会」の融合だ。
経済の自給自足の前に、官民や公私の自給自足を目指したい。