夕張市長への手紙1

世田谷ものづくり学校を見学にやってきた、内閣府の若者S君の計らいで、当時財政破綻して再建計画を立案中の夕張市が、品川で僕に会いたいと言ってきた。

これはその時、お目にかかれるかもしれない市長あてに用意した手紙。
16年が経ったとは思えない内容なので、皆さんにお見せしたいと思う。

夕張市長様
平成18年12月22日 松村拓也

 本日は、本当にご多忙のところ、貴重なお時間を割いていただき感謝申し上げます。

 私は、今回の夕張市の問題を契機に、ひとりの日本国民として、日本政府に対し「もういい加減にしろ!」と伝えるために何をすべきかを考えました。一言で言えば、日本政府の財政状態は、夕張市より悪い状態であることは、誰の目にも明らかなのにそれを棚に上げ、夕張市に対し「自分のことは自分で考えろ」と言っている訳です。ですから、始めに結論を申し上げると、これから夕張市の皆さんが取組まなければならない「地獄のような再建計画」よりもさらに現実的な「日本政府の財政再建計画」の国民に対する提示を、夕張市と同じ〆切で要求したいと思います。

 政治家やマスコミは、今こぞって夕張市の当局や市民の皆さんまでも槍玉に挙げ、「これまでの放漫財政を許し、甘い汁を吸ってきた」という大合唱ですが、一方では「夕張市でこれが露呈したことを契機に、今こそ本当の改革をすべき」という論評も聞こえてきます。今私たちが取組むべきことは、こうした評論家たちの議論に関係なく、すべての議論を決着させること。つまり、日本全体が陥っている「問題先送り構造」と決別し、次の一歩を踏み出すことだと思います。

 私は、政治も財政も行政も法律も、詳しく知らない一介の民間人ですが、このような普通の人に判るような改革をしなければこの問題は解決しません。多くのプロが、よってたかって取組んでいるはずの難問が解決しないのは、彼らの言葉が難しすぎて誰も理解できていないからです。人は心で動きます。理解できないと、行動できません。何のために、何を目指しているのかが判らなければ、がんばることはできません。方法論など後でいいんです。そんなことは、プロが何とかしてくれます。始めにやらなければならないことは、「自分たちはどうなりたいのか」を明確にすることです。

 私は7年前に自ら経営する建設会社の倒産を経験し、現在の境地に至りました。当時この会社には、120人の社員と、20件の施工物件を抱え、300社の下請けに対する手形と100億を超える銀行借り入れがありました。私は最終破産の1ヶ月前にすべての情報を開示し、20件の施工物件の救済に一点集中して対処しました。その結果、お客様には一人もご迷惑をかけることなく、20件を完成させ、心ある(逃げ遅れた)30人の社員たちと2ヵ月後には新会社を立ち上げ、踏み倒した下請け業者さんと取引を続けながら、現在も元気に営業しています。銀行債務は30億ほど残り、これはすべて私が抱えておりますが、おかげで借金もできず、極めて健全な財務の会社になりました。

 私の考え方は、少なくとも今この瞬間、絶対に正しいと確信しています。その証拠に、私は今、あなたにお目にかかっています。私は夕張市長に会うために、手当たり構わず私の思いを叫んできました。その結果、その声がお役所に届き、市長に届き、なんと飛行機に乗ってわざわざ来ていただけたんです。私はこれを奇跡とは思いません。これは、「必要なこと」だからです。

 最後になりましたが、私からのご提案を申し上げます。私をどうか夕張市にお招き下さい。名刺にもございますように、こうした問題に取組むため、家族と共に「」という会社を立ち上げました。社長(家内)の許可はすでに取り付けてありますので、どうかお願いいたします。貧乏会社ですが、正月明けにこちらから夕張市をお尋ねしたいと思います。自力で参りますが、寝る場所だけはご斡旋下さい。そこで、存分にお話もできますし、力になりそうな方を何人でもご紹介下さい。本日申し上げたいことはそこまでですが、ご質問があれば、何でもお答えいたします。

 ありがとうございました。

追伸

この日、後藤市長は現れず、後日夕張でお目にかかることになった。
そこで僕は、「手紙2」を作成し、翌1月6日に夕張に乗り込んだ。