地主の学校@市原

先日、千葉県市原市で活動する建築家集団「黒澤瓦店(くろさわかわらてん)」にお邪魔して、「プチ地主の学校」を開催した。
地主の学校の発刊から5か月、国づくりについて議論する機会が少しずつ増えている。
僕の議論の目的は、一人でも多くの仲間を作ること。
議論を通じて互いを知り、理解することで、共通の思いや考え方の存在に気付き、何かを共有するコミュニティに加わることが、僕の言う「仲間づくり」だ。
まずは僕を知ってもらうため、議論は言葉の定義(意味)からスタートする。
この日は「空き家」という言葉を定義して、「空き家の増加」がいったい何を意味するかについて、みんなに問いかけた。

言葉の意味は、人によって様々だ。
空き家を持たない人から見れば、空き家は無駄で不気味な「近所迷惑」だ。
空き家を処分できずにいる所有者なら、利用者や借主が見つかれば一安心の「有休資産」かも知れない。
さらに多数の空き家を所有する人なら、処分や建て替えを検討すべき「不良在庫」となるだろう。
また、都会と郊外、そして山間部など、地域によっても空き家の意味は全然違う。
過疎化が進むエリアでは、空き家はさらに増えているが、空室の無い人気エリアでは、新たな供給が止まらない。
5年ごとに総務省から発表される「統計上の空き家」の過半は、賃貸住宅の空室を指している一方で、空き家特措法が取り締まる「廃屋」はこの統計に含まれない。
つまり、「空き家」という言葉は一つの概念を意味しないだけでなく、その是非について論じられることもない。
良質のストックとして、適量の供給が求められる「必要悪」的な存在と言えるだろう。

だが僕は「空き家」を、空室在庫や近所迷惑と捉えるのでなく、地域衰退の象徴と捉えている。
空き家の増加が止まらなければ、それは地域社会の滅亡を意味している。
それなのに、空き家総数の増加を抑制したり、空き家の発生を食い止める施策は見当たらない。
むしろその逆に、新規の供給や再開発は無制限に行われ、空き家の増加を促進している。
空き家バンク等、空き家の利活用促進や定住促進は、住民の取り合いをしているだけのこと。
その上、物価高と円安によって購買力が低下した国内需要を諦めて、海外投資家に売りつけているのが実情だ。
それなのに、現状を「日本売り」と揶揄するだけで、嘆くだけの傍観者ばかりが目に付く。
僕が立ち向かいたいのは、こうした「衰退の促進」だと、宣言した。

ここで言う衰退とは、もちろん消滅へのプロセスのことで、V字回復前の一時的な衰退のことではない。
衰退に立ち向かうどころか、衰退を促進していては、消滅を免れないではないか。
滅びゆく現状に立ち向かおうとしないのは、誰もが他人事だと思っているから。
多くの人が滅びるかもしれないが、きっと自分は生き残るだろうと、誰もが思っている。
だがそうでないことを、倒産を経験した僕は知っている。
多くの地域は、そして日本は、ある意味ですでに滅びている。
僕が「」というのはそのためだ。
この国を再建するのでなく、滅びた先を描き、みんなが様々な国を小さく作り始めるべきだと思う。

ここから、地主の学校についての説明が始まる。
まず、地域社会が消滅しつつあることは「a土地放置の増加、b滞在人数の減少、c経済価値の低下」の3つの現象として顕在化していること。
次に、それをもたらす人的要因(課題)は「a土地管理者の減少、b誘致受入者の減少、c価値創出者の減少」の3つと考えられること。
したがって、それらに立ち向かう人的必要(対策)は「a土地管理者、b誘致受入れ者、c価値創出者」の3つの役割であり、これらを併せ持つものを「」と再定義したい。
地主の学校は、こうした役割について「考え学び合う仲間たち」のこと。
そして、誰もが「主」になって自発的に動くことこそが、新しい「民主社会」のイメージだ。

そして最後に、「主とは何か」について簡単な図で説明した。
「主」とは自分一人で無く相手との関係を示す言葉で、「主従(master and servant)」と「主客(host and guest)」という二つの関係を示している。
先ほど示した地主の3つの役割のうち、「a土地管理者は主従の主」、「b誘致受入れ者は主客の主」だとすれば、「c価値創出者」こそが今取り戻すべき役割に思える。
現代社会において、市民が役所の顧客や、従者(下請け)となることで主(当事者)を忘れ、地域社会の自治・運営を役所任せにしているのは、まさにこの「c価値創出者」の役割だ。
むしろ、市民が地域を担うことが世界の常識だと問いかけると、若者たちは実感を込めて「確かにそうだ」と答えてくれた。
これで僕は、黒澤瓦店の仲間に加えてもらえた。
そして同時に、小さな国づくりが始まることを確信した。