出来ることの探し方

先日、K市議会議員選挙で落選した友人のTさんに、こんなメッセージを送信した。
「僕は、選挙運動を政治活動とは思っていませんし、議員を政治家と思いません。Tさんが、議員という職業を目指すのか、政治家を目指すのか、興味津々です!」と。
ここで言う議員とは政治という仕事を行う職業のことで、政治家とは社会において政治活動を行う人のこと。
立候補した本人は、当選すれば議員という地位と職を得られるが、支持者たちは議員の地位と職を与えるためでなく「政治」を担ってもらうために投票する。
そこで僕の問いかけは、「そもそも君は、政治を担う気があるのか?」という意味に他ならない。
恐らく多くの人は、政治を担うためにはまず議員にならなければならないと考えているのだろう。
そこで、「議員とは何か」について調べて見た。

議員はすべて公務員で、議員年金という年金制度があり、市町村の議員は、市会議員共済会か町村議会議員共済に加入する。
これらの共済は地方公務員等共済組合法という法律で規定されており、一般の地方公務員が加入する年金と並列のもの。
従って、議員=公務員=職業は明確だ。
また、公務員には兼業禁止義務があるが、議員は特別職のため全面禁止でなく、所属自治体に関わる業務への関与のみが禁止されている。
従って、自分の会社をもちながら議員を兼ねるなどの兼業は、法律上全く問題ない。
つまり、議員は公務員以上の待遇に加え、兼業可能な美味しい職業と言えるだろう。

そこでもう一度、僕のメッセージを見て欲しい。
まず、第一点目の「選挙運動≠政治活動」は、選挙は単なる議員選びという意味だ。
有権者に手紙をばらまき、随所にポスターを貼り、大声でわめきながら握手をしまくることのどこが政治活動なのか。
そもそも選挙の前だけやることなど、政治活動の訳がない。
そして、第二点目の「議員≠政治家」は、議員は支持者の願いを叶えるための人数に過ぎないという意味だ。
余談だが、「多数が正しい」という理屈がまかり通る社会の恐ろしさを描く、「人数の町(https://www.ninzunomachi.jp/)」という映画を見て欲しい。
多数派工作をするのが政治じゃないからこそ、誰もが「多様性」と言い出したではないか。

さて、今日の本題は政治じゃない。
「自分でやること」を諦めないで欲しいと、僕は言いたい。
政治家を目指すなら、選挙に負け議員になれなくてもどうでもいい。
いや、むしろ当選せず、落選して良かったとさえ僕は思う。
選挙活動しても落選するなら、違うことをやればいい。
その違うことが政治活動ならさらに良い。
例えば1,000票で当選出来るのに、選挙運動で300票しか集まらなかったなら、政治活動で1,500票集めれば楽勝だ。
公職選挙法とは無関係の政治活動なら、選挙期間に関係なく今からすぐに始められる。
次の選挙で自分に投票してくれる仲間を1,000人以上集める活動を、政治活動と定義したらどうだろう。
もしもそれができないなら、政治家を目指すのは辞めた方が良い。
なぜなら政治家とは、全ての人から支持されることを目指す人だと僕は思うから。

こうして自分の目指すことが明確になれば、あとはやってみるしかない。
やらないのなら、目指すこと自体を辞めるしかないだろう。
「できない理由」ならいくらでも思いつく、なのに「出来る理由」を考えられないのはなぜか。
それは「やらない」くせに「やりたい」とうそぶいているからだと僕は思う。
そもそもチャレンジとは、できそうなことをやるのでなく、できそうに無いことをやってみることだ。
できそうも無いことに挑むには、あたかもできそうに見せたり思わせる必要がある。
「出来る理由」とは、「できそうに思わせるための説明」だ。
「出来ること」を探すとは、「出来そうなこと」を探すのでなく、「出来そうな面白い理屈」をひねり出すことだと僕は思う。