僕はよく「世田谷の松村さん」と呼ばれる。
1964年7才の時、東京オリンピックの直前に江東区亀戸から越してきて、25歳で結婚するまで世田谷で暮らしたが、その後は横浜市内の各所で暮らし、今も世田谷区民ではない。
でも、2005年に世田谷ものづくり学校の校長を引き受けることで、三軒茶屋にある世田谷区役所分庁舎に足繫く通うようになり、世田谷区役所の方たちと親しくなった。
やがて、様々な相談を受けるようになり、世田谷区産業振興公社の起業・創業支援事業、世田谷保健所の健康づくり助成事業、世田谷区内の国際交流を促進する助成事業、そして生涯現役推進課のシニア世代地域参加促進事業などを立ち上げた。
これらの事業は、すべて世田谷区から委嘱されたので、確かに世田谷区役所の業務の一部を担った自覚はあるが、「世田谷の松村さん」には、少なからず違和感を感じてしまう。
だが先日、いよいよ終了する「世田谷ものづくり学校」のお別れ会に参加しながら、僕と世田谷の関係について気持ちの整理をしたくなった。
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僕が世田谷と関わり始めたのは、2002年頃世田谷区長から相談された友人のSさんから「世田谷の池尻で廃校が出るんだけど、誰か面白い運営してくれないか」と持ち掛けられたのがきっかけだ。
潰した会社の破産処理がようやく片付いて、新会社の仕事探しに奔走していた僕は、池尻界隈にお世話になったIDEE社があることを思い出した。
すぐに当時のK社長に相談すると、即答で飛びついて下さり、厳しい障壁をいくつも乗り越えて2004年10月には開業にこぎつけた。
ところがその年の暮れには、今度はIDEE社の経営が行き詰り、せっかくスタートした廃校活用が暗礁に乗り上げそうになったので、僕は建築の仕事を捨て、池尻の責任者(校長)を引き受けた。
今にして思えば、仲間たちと乗り越えた倒産劇よりも、ずっと寂しい孤立無援のスタートだった。
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「世田谷ものづくり学校」という名称は、後から区役所の要請でつけた名前で、このプロジェクトの正式名称は「Ikejiri Institute of Design(池尻デザイン研究所)」略してIIDだった。
これに対し、「世田谷ものづくり学校」という名称には「世田谷区が提供するものづくりの場としての廃校活用」という思いが込められており、事業者(IDEE)と主体者(区)の目指すものは初めからずれていた。
そんな現場に飛び込んだ僕に課せられた役割は、事業者(ビジネス)と行政(地域社会)をつなぐこと。
当然僕の思考回路は、完全に事業者型だったので、区役所と近隣学校などの公的施設に足繁く通う日々が始まった。
一方で、IIDにおける「ものづくり」とは、「クリエイティブなビジネス」を指していて、起業者の育成にとどまらず既存ビジネスの事業創出のサポートも担っていた。
そんな空気が、白紙状態の僕に様々な気づきや体験を与えてくれたことは言うまでもない。
当時の僕にとっては、区役所も、学校も、交番もそして公園の浮浪者たちまでもが、先生だった。
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さて、ここからが今日の本題だ。
世田谷区の事業名には、必ずと言って良いほど「世田谷」の地名が含まれるのはなぜだろう。
先ほど僕の役割は事業と行政をつなぐことと言ったが、これは言い替えると世田谷と区民をつなぐこと。
実は、世田谷という言葉を地域に普及することこそが、世田谷区に課せられた最大の課題だと僕は思う。
世田谷は、東京都23区の西南部を占める範囲の名前に過ぎず、世田谷独自の価値や具体イメージがある訳ではない。
実際、世田谷区内に暮らす人は「三軒茶屋」や「池尻」などの「まち」に暮らし、まちに貢献したりまちから恩恵を受けている。
お祭りやイベントなど、まちごとの連携や対抗の場は有っても、「世田谷対目黒」や「23区対抗」の場がある訳ではない。
つまり、誰も世田谷への帰属や当事者意識など、持ちようが無いと言える。
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僕がこのことに気付いたのは、「せたがやソーシャルビジネスコンテスト」のゲスト審査員&スポンサーとして、「世田谷自然食品」を誘った時のことだった。
このコンテストは、地域と社会双方のメリットを競い合うイベントなので、「世田谷」を名乗るメリットがある会社を招きたかった。
場所代や人件費を低く抑える通販業界において、「御社はなぜ世田谷に会社を置き、高い労働力を雇うのか?」と尋ねたところ、「職歴とモチベーションが高い世田谷在住の主婦パートだからこそ、弊社は成長できた」と断言した。
つまり、「世田谷」の価値を享受するこの会社だからこそ、「世田谷」に貢献したいという、まさに「当事者」と言えると思った。
だからこそ、この会社はどんなに成長しようとも世田谷から離れることなく、今も本社を区内に置いている。
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僕が世田谷区に提案して立ち上げた世田谷プロジェクトを列挙すると
せたがやかやっく
せたがやソーシャルビジネスセミナー、コンテスト、フェア、アワード
せたがや健や化プロジェクト
世田谷世界交流プロジェクト
世田谷世界相談所
世田谷世界旅行協会
世田谷ヴィンテージライフ
などなど。
でもこれらはすべて数年の命で、継続していない。
だからこそ【継続しなくちゃ社会じゃない】という言葉に、僕は辿り着いたんだと思う。