行動と説明

言行不一致とは、主張と行動が食い違うことと思われがちだが、果たしてそうだろうか。
文法の時間に習った「動詞の活用」をちょっと思い出してほしい。
未然・連用・終止・連体・仮定・命令・・・そう、これのこと。
連用と連体は、行動で無く次に用言が来るか体言が来るかの説明的用法なので除外する。
すると、未然は「まだ」、仮定は「もしも」、命令は「やれ!」となり、いずれも「まだやっていない」ことを指す。
そして、最後に残った終止こそは「終わっている」のかといえば、「やる」とは「これからやります」という意味であり、始まってすらいない。
要は、すべての動詞はまだやっていないことについて「これからどうするか」を言っており、「やる」という現在の行動は、実行した場合だけが「やった」という過去となる。

アインシュタインが「電車に乗っている人は外から見れば走っているが、乗っている人は止まっている」と説いたが、動詞にも似たようなことが言える。
今まさにタバコを吸っている人が「禁煙します」と言うのなら、外から見ると喫煙者でも、本人はこれから禁煙しようとしている。
だがそもそも、禁煙とは喫煙をやめることなので、喫煙しない人が禁煙することはできない。
行為を辞めたり始めたりすることが、現状の行為の逆を思いそれを実行することなら、それこそ言行不一致に他ならない。

一方未来とは、このままで居続けるか、何かを変えるかのいずれかだ。
それについて、まだ・・・と悩んだり、もしも・・・と迷ったり、やろう!・・・と奮起したり、やる・・・と決めたりすることが「動詞の仕事」というわけだ。
だが、ここで言う「やる」とは「やらない」の反対ではあるものの、結局どちらもまだ「やっていない」。
そして、「やめる」の反対である「やめない」とはやり続けることであり、どちらも「やっている」のが現在だ。
したがって、「やる」が「やらないをやめること」ならば、それは今「やらないをやっている」ことになる。
「言うは易く行うは難し」とは、「やらない」は容易いが「やる」は難しいとも読めるが、それを説明するのはかなり難しい。

「言うことと行うことが一致しない」とは、正確に言うと「言うことに行うことが一致しない」というべきで、「言うと行う」は等価でなく、「言うに行う」の順序がある。
有言実行の言葉の通り、そもそも先に言ってから実行しなければならないと思うのはなぜだろう。
確かに「やってから言う」のは、「ずるいやり方」とされ、後出しじゃんけんや結果論と呼ばれることもある。
先に出して負けたり、結果を批判されやすい「当事者側」は、割に合わないと思われがちだ。
でも、本当にそうだろうか。
先にやって見せることで、相手や周囲がそれに勝とうとすることはいいことだし、先に結果を見せることで批判や意見が聞けるなら、むしろ得だと僕は思う。

そもそも「言行一致」とは「全社一丸」とか「安全第一」と同様に、困難に挑む戒めの言葉に過ぎない。
ならば順番を変えて、行うことに言うことを合わせ、「有言実行」を「実行有言」に切り替えたらどうだろう。
先に「できること」を実行し、「成したことは何か」を自分と周囲に説明する「行言一致」なら、「言行一致」よりはずっと容易にできそうだ。
これまで僕は、夢を叶えることが「実現」であり、その逆は「まぐれ」だと揶揄してきた。
だが、それは決して、夢を描くまで行動するなと言うのではない。
まず行動し、その結果と夢とのギャップ=失敗をきちんと説明すればいい。
失敗の理由は夢にあり、失敗の原因は行動にあるのだと僕は思う。
きっと僕は、夢と行動双方の修正を繰り返すことで、夢を叶えるプロセスをいつまでも歩き続けたいのだと思う。