挑戦という苦労

昨日は、チャレンジアシストプログラムの活動報告会にオンラインで参加した。
これは東京都教育委員会とBumB東京スポーツ文化館が主催する助成事業で、若者のグループが初めてのチャレンジとして企画・提案する活動を、ジャンルを問わず支援する取り組みだ。
僕は2010年から審査員として参加しているが、毎年多くのチャレンジングな若者と知り合うことのできる、とても美味しいプロジェクトだ。
総額100万円を1グループ30万円以内で4~5グループに支給するのだが、毎年4月ごろから募集を始め、7月ごろに助成対象を選定し、翌年3月までに活動を完了する。
そして、チャレンジの顛末と収支報告を受けて、審査員と意見交換しながら活動を総括するのが、今日の目的だ。

報告に先立ち、僕は「君たちの挑戦の成功した部分と失敗した部分を説明せよ」と注文した。
でも、これに対する彼らの説明は、僕の意図するものと違っていた。
例えば、予定以上の参加者がいたことが成功で、無料開催のため収益化が図れなかったことが失敗というのだが、これでは事業の目的が「参加者から参加費を徴収して収益を得ること」となってしまう。
でもそうだろうか、このプログラムはそんなことをサポートするために税金を使うのだろうか。
いや、さらに言うなら、参加者は事業者の収益のために参加費を払うのだろうか。
そもそも、この話の一体どこがチャレンジなのだろう。

収益はさておき、せめて採算の確保を目指すのであれば、無償で開催することは挑戦の失敗でなく、むしろ挑戦からの逃避かも知れない。
たとえ無償でも参加者が集まらない失敗より、参加者は集まったが収益化は難しいという失敗の方が、ましだから成功とでもいうのだろうか。
だがもしも、本来千円の参加費を取るべきところ、助成を受けることで初回を無償化して参加者を募り、2回目以降を有償で受け付けたらどうだろう。
恐らく、多くの助成事業では、こんな議論が行われるのだろう。
だが、この事業は違う。
「何をやったかの反省会でなく、何をやりたかったのか、そしてやってみてはじめの思いはどう変わったのかを聞きたい」と、他の審査員が突っ込んだ。

このプログラムの特徴は、いわゆる助成金事業にありがちな「課題解決」でなく、「チャレンジアシスト=挑戦の支援」を目的とすることだ。
もちろん挑む対象は課題であり、挑む行為はその解決策を講じることなのだが、「課題解決」はゴールではなく通過点に過ぎない。
つまり、「チャレンジのゴール=本当の目的」は、もっとその先にある。
本当の目的とは、「自分にとっての成功」だと僕は考える。
もしも自分の願いが「多くの人を集めること」ならば、参加者さえ大勢集まればたとえ大赤字でも不評でも、それは立派な成功と言える。
ここで問題は、果たしてそれが「本当の願いかどうか」ということだ。
それを確かめるには、やってみるしかないと僕は思う。

この「やってみる」を、私たちは「チャレンジ」と呼び、そのきっかけを提供する。
あるグループが「この助成金をもらったばかりに、引っ込みがつかなくなり、足りない資金は必死に集めるしかなかった」と白状するのを聞いて、僕は「大成功!」と太鼓判を押した。
審査員にとって、「うまくいきました」でなく、「大変だった」、「苦労した」、「助けてもらえた」、「仲間ができた」と聞く時こそが、「助成して良かった」と胸をなでおろす瞬間だ。
審査員たちの願いは、若者たちに「チャレンジという苦しさ」を味わってもらうことであり、東京都はこのことに税金を投入する。
昨年はコロナ禍の中で応募者が集まらず、予算も無いのに事務局が2次募集をして、審査員が2回審査を行ったのは、この事業をやりたかったからに他ならない。
応募者がチャレンジしてくれることは、審査員や事務局にとっての成功でもあり、その成功をみんなで共有するのが報告会の目的だ。

報告会を総括して、全ての審査員、応募者、そして東京都の担当者がコメントした。
そこでみんなが共有したのは、この「チャレンジアシストプログラム」を存続・発展させるために協力し合うことだった。
という訳で、このブログを読んでくださったあなたとも共有したい。
2022年度チャレンジアシストプログラムに、より多くの若いチャレンジャーとして名乗り出て、または送り込んでいただきたい。
よろしくお願いします!!
※令和3年度サイトはこちら(令和4年度は準備中)
https://www.ys-tokyobay.co.jp/social/cap2021.html