先日T君と一緒にK県庁の観光担当を訪問した。
目的は、K県が推進するインバウンド高額ツアーのコンテンツ創出に、全ての県民を巻き込むこと。
ここ数年、海外からの旅行者数が急増する中、100万円/日以上の高額購買層にアピールする観光コンテンツを生み出すことに、K県は真剣に取り組んでいるという。
もちろん一昨年からコロナ禍の影響で、インバウンド市場は絶望的に低迷している。
だがその一方で、コロナバブルともいえる金余りが進行する国内において、潜在的な高額購買層顕在化の可能性も高まっている。
そこで僕は、地域に眠る極めて貴重な観光コンテンツの掘り起こしを、専門家だけに任せるのでなく、広く県民と共有すべきと考える。
地域住民を行政に依存する顧客にせず、自ら取り組む当事者にすべきと僕は主張した。
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もちろんこんな話を突然持ち込んで、すんなり採用されるはずがない。
担当者の回答は、「貴重なご意見に感謝いたします、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。」と、とても丁寧なお断りだった。
感想を述べ合う帰り道、T君が「松村さんひょうひょうとしていますよね!」と言うので、「僕はいつも失敗を前提としてるのでめげないのかも!」と答えた。
そして「松村さん、本当に行動力有りますし、いろいろなところに首を突っ込むな、、と感心してます。」との言葉を受けて、今日のブログを書きたくなった。
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さっきも言ったとおり、僕が失敗にめげないのは、失敗を前提としているからだ。
K県庁に対する僕の目的は「提案を受け入れてもらう」ことでなく、「受け入れてくれない相手に熱く語ること」だった。
提案するからには、受け入れられることが「成功」であり、その意味で僕の「失敗」は明らかだ。
でも、「失敗すること」で僕の提案が断られたという「実績を作ること」が、負け惜しみでなく僕の目的だということを知って欲しい。
つまり、僕の目指す成功は、相手に何かを求めるのでなく自分自身が何かを成し遂げること。
その実現が、成功をもたらさなくても構わないという意味だ。
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僕がなぜ、成功を諦め「失敗する」ことを前提に行動するのか。
それは、「失敗しない」ことを前提にしたくないからだ。
「失敗しないようにする」ことを、多くの人は「失敗しそうなことをしない」にすり替える。
儲けたい人は、儲からないことをしたがらない。
報われたい人は、報われないことをしたがらない。
楽をしたい人は、苦しいことをしたがらない。
それが現実だ。
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きっと多くの人たちは、成功の価値を「多くの失敗を伴う希少価値」とでも考えているのだろう。
もしも誰もが成功するならば、そんな成功は自慢できない。
一部の人が儲けるから、一部の人が報われるから、一部の人が楽をするから価値がある。
結局、この発想が格差を生む元凶だ。
誰もが、周囲の失敗を望むことになる。
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僕が前提とする失敗とは、この希少な成功を逆転する多数の成功を意味している。
つまり僕が価値を感じるのは、たとえ失敗しようとも、実現したいこと。
他人が何と言おうとも、自分が望むことにこそ価値があると信じてる。
「楽=苦労せずに済むこと」でなく、「楽=苦労の末に得るもの」だ。
誰もが知っている、誰もが目指す「成功」は、絶対に一部の人しか実現できない。
でも、自分だけが知っていて、自分だけが求める「成功」なら、誰もが実現できるかも知れない。
僕が「必要なのに誰もやろうとしないこと」に挑むのは、このことを意味してる。